賀照田『中国が世界に深く入りはじめたとき』

賀照田『中国が世界に深く入りはじめたとき』


  賀照田氏は、中国社会科学院に属するが、日本始め東アジアで注目される若手知識人である。精神史という人文学の視点から、中国の精神内面を深く考察して発信している。1989年天安門事件以後から92年訒小平の南巡講話により、中国革命の急進主義と進歩の観念は影を潜め、経済至上主義により「中国の奇跡」を成し遂げた。この論文集は、21世紀に入って以後2013年までに書かれた論文を集めたものである。私は、魯迅的思考を感じた。賀照田氏は、竹内好を評価している。
    賀照田氏の問題意識は、第一に理想と信念を掲げた中国が、わずか10数年で経済実利至上主義の社会に変わってしまったのは何故かであり、第二に精神生活の価値を唱える新興宗教が短期間に全国に波及したのは何故かである。その底には自殺率の上昇と、理想の壊滅や虚無思想の若者への生成があると指摘している。私が面白く読んだのは、2012年の近年のネット流行語から見る中国知識青年の心理構造の論文である。
 高等教育は社会の地位を決めるため、大学入試に過大な期待がある。ミニブログで募集した応援標語には、大学入試がなければ「金持ちボンボン」や「高官子弟」に張りえないとし、「合格すれば背高、金持ち、格好いい」「合格しなければチビ、貧乏、不細工」としていたが、21世紀に成り、大学卒業生に理想的職位が得られなくなる。
   就職問題のほかに大都市の住宅価格高騰で、「かたつむりの家」という狭い住居しか大卒の中産階層には手に入らない。「蟻族」という1980年以降生まれの「低収入の大卒の雑居集団」を指す言葉もある。また「裸婚」といい、住宅も買えず、結婚式も行わず、「家なし車なし指輪なし新婚旅行なし」の大卒カップルをいう。賀照田氏は高度成長が続かなくなると、80年代末消滅した学生運動が再び発生すると予測している。
  賀照田氏は80年代の啓蒙主義も、90年代の経済至上主義も、グローバル時代の新左派と自由主義派の論争(詳しく分析されていて読む価値がある)も、いずれも実りをもたらさなかったのは何故かを深く考察している。その上で中国現代史の歴史的文脈のなかで、精神史や人文主義で思想を構築しようとしている。近年、賀照田氏は東アジアの知識人と交流を深め、近代化との関わりも視野にいれている。(青土社鈴木将久編訳)