サイデンステッカー『東京 下町山の手』 

サイデンステッカー『東京 下町山の手1867−1923年』

  東京にオリンピックが来る。東京とはどういう都市なのか。「源氏物語」や「細雪」を西欧に翻訳したサイデンステッカーが、江戸末期・明治維新期から大正の関東大震災までの東京のモダン都市への変貌を描いた「原・東京」の物語である。東京はこの一世紀以上、世界の大都市の中で「変貌著しい流動都市」と言っていいのではなかろうか。そこには大震災、大火、大洪水など災害や、東京大空襲など戦争という外部要因もあるが、人口流入など東京人の変貌も関わっている。
 この本は関東大震災が、明治の文明開化で近代化が進められてきたところへ、江戸文化とその残照が残っていた下町を壊滅させたといい、第一章は「終末 そして発端」から始められている。その結果、人口も文化も南へ、西へと移動し、江戸を残す下町歓楽街が消失し、山の手の盛り場が活況を呈していくとサイデンステッカーは指摘している。彼は永井荷風に共感していて、下町に対する深い愛着と、江戸の死を悼み、東京の出現を恨んだ荷風を「挽歌の詩人」というから、どうしても下町の変貌に焦点が当てられている。
   浅草の変貌の歴史は面白い。それに対して職人や小商人の街銀座が、明治初期モダンな赤煉瓦街に変貌していく。それも大火で耐火性のためでもある。それさえもいまや残っていない。神田、吉原の大火も文明開化の町づくりに利する。鹿鳴館と浅草十二階の比較も面白い。伝統を残しながら、日本銀行など金融街の新しさの街に変貌する日本橋。他方野原だった丸の内を三菱財閥が開発し、東京駅まで呼び込み発展する姿。西欧モダンと江戸以来の下町の二重生活が、明治から大正に続く。やはりサイデンステッカーの筆は、深川、本所、洲崎、上野、浅草に重点がおかれている。
  山の手は官僚、富裕層の街であり、山の手が本格的に膨張するのは関東大震災以後だから、この本ではほとんど触れられていないのが残念だ。明治初期は茶畑、桑畑であり、渋谷はいいお茶の産地で、赤坂は40ヘクタールの茶畑だった。麹町、本郷、小石川、芝浦の変貌も面白い。麻布、赤坂、六本木は軍隊の練兵場や兵営があり、六本木は兵隊が遊ぶ盛り場だった。大正時代は大正ルックなどモダンが一歩すすみ、大衆社会化が生まれたが、大地震で消え去ることになる。首都大地震が、東京に大きな変貌を強いたことが、この本でわかる。昭和では東京大空襲だろう。未来はどうであろうか。(講談社学術文庫安西徹雄訳)