プルースト『失われた時を求めて』

プルースト失われた時を求めて』(①)
『スワン家のほうへ』

    プルーストの大作の始めの第一篇である。そこには、今後発展する全小説の先駆けが詰まっている。直観と無意志的記憶が偶然の連想により過去を喚起してくる。その文体は自分の内面の底に淀んだ夢のような描写ではあるが、だからと言って社交風俗や多様な登場人物の滑稽で辛辣な描写を蔑にしていない。それと比喩がふんだんに使われた詩的文体との対比が面白い。芸術という仮想現実と、実際の現実が二枚腰のように綯い交ぜになっている。
   19世紀末のフランスのブルジョア家族と上流貴族階級の生態や人物像が浮かび上がってくる。作家・ナボコフによれば、この本筋はうち続くパーティからなっており、晩餐会が150ページを占め、夜会が半分の卷もあるという。(『ヨーロッパ文学講義』TBSブリタニカ)だから篠田一士のように、フランスの社会風俗・心理小説に、田舎の牧師館の茶の間から発したイギリスの社会喜劇小説を合流させたことが、なによりのこの小説の発明という見方もでてくる。(『二十世紀の十大小説』新潮社)
    この卷の主人公スワンはユダヤ人だが、裕福な株式仲買人であり、粋筋の女オデットに恋をする。だが、このスワンは上流貴族社交場の人気者であり、排除されるがブルジョア階級の社交場でも重視される。画家フェルメールの研究者であり、洗練された芸術愛好家という重層的人物なのだ。
   その恋は、フランス恋愛心理小説の「アンチ・ロマン」的な趣だ。スワンがオデットに恋するのは、ルネスサンスの画家ポッチィチェリが描いた絵に似ていることであり、ソナタ(作曲家フランクというわれる)の楽曲への陶酔の中からである。こうした仮想現実が、現実の粋筋の女オデットと恋に陥ると、「嫉妬」が激しくなり、「幻滅」に陥っていく。
   この本のプルーストの主題は、少年期の寝る前の母の接吻願望から始まる「幻滅」であり、自尊心のドラマである嫉妬による自己喪失にある。それが果たして芸術創造で救われるのかが、今後の展開に出てくるだろう。その幻滅はスワンの娘ジルベルトと、この小説の話者「私」の失恋にまでこの卷では発展していく。偉大なる失恋小説、幻滅小説。(岩波文庫吉川一義訳「失われた時を求めて」1、2卷)