「特定秘密保護法」を読む

特定秘密保護法」を読む

  大腸がん手術で2週間病院に入院し、今日退院してきたら「特定秘密保護法」案で与党が,参院委員会で強行採決したのを知った。また入院したくなった。
  わたしは大正時代の大正デモクラシー(インペリアル・デモクラシー)による政党政治の成立の爛熟期に、はやくも市民的権利を制限し、戦時統制国家に舵を切った歴史を思い浮かべた。加藤高明護憲三派内閣は、普通選挙、綱紀粛正、行財政整理を掲げていた。植民地を持ち、巨大な軍産複合体である大正期と今を比較するのは強引かもしれない。あえて比較してみる。  
  ①「普選」問題は、現在では1票の格差の選挙改革にあたり、②財政赤字の立て直しは、大正期では、三菱財閥を中心とした軍産複合体で立て直ししようとしていたが、関東大震災の震災復旧費が加わり、原敬内閣の公共事業費の放漫財政で苦しんでいたのも、今の東日本大震災復興費や原発事故への国費投入の財政負担増大に似ている。
  治安維持法普通選挙のための補完関係で出され、ソ連による過激思想・テロ防止の取り締まり(今の北朝鮮や中国を思い浮かべる)というのが定説だが果たしてそうだろうか。今は「特定秘密」だが、大正期治安維持法は「国体」と「私有財産」の否認が第一条で掲げられている。そう、似ているのは結社・教唆・扇動の刑罰が「10年」という点である。「国体」という曖昧な言葉は「秘密」と同じだが、「未遂」という不気味な言葉があり、この法律以後「非国民」という言葉も生まれた。
  私は国家における「安全」や「秘密」とは何か、果たして個人のようにそれが存在するのか疑問である。「安全」は国家の重要な義務であり、災害、環境、生存権保障としての社会福祉など「人間的安全保障」は国家成立の基盤である。原発事故以来「安全」で味噌をつけた日本は、突如「秘密」重視にシフトした。「安全」には、国民への情報公開が必要であり、「秘密」とは両立しない。
  個人にとって「秘密」は自己自立のため大人になるため重要である。(カニングスバーク『クローディアの秘密』岩波少年文庫
  だが、国家が秘密をいう場合、米国依存の「秘密」であり、それを洩らしたくないという依存性の表れである。「第二の日米安保問題」なのである。秘密保護法の審議中にアメリカ副大統領が来日し、圧力が加わった。
  国家が「秘密」を重視した時は、「非常時から準戦時体制への転換点」であることは歴史が示している。(岩波講座「日本通史」18卷・近代3)いまや軍産複合体だから、民間企業にまで蛸の足のように「秘密」は伸びていく。この法案とともに「武器輸出3原則」が空洞化する法案が、密かに国会に出されようとしている。極端な例だが、「日本核武装」の際には、原発産業全体に「特定秘密」は拡大されていくだろう。
  秘密保護法は「冤罪」を生みやすい。19世紀末フランス軍将校・ドレフュスが、軍事秘密をドイツに漏らしたとされ有罪になった。のちに別のフランス高級将校と判明するが、ユダヤ人だったため、なかなか再審無罪にならなかった。「秘密」が法廷に公開されないためだ。(大仏次郎ドレフュス事件朝日新聞出版)
  大正期の歴史は今井清一大正デモクラシー』(中公文庫)が時代を良くとらえた名著である。国家安全保障会議の設置に続き、「集団的自衛権」の確立が安倍政権下行われようとしている。この日、延命治療が続けられた「憲法9条」は、密かに呼吸器が取り払われ、脳死した。改憲もなく。