ディクソン『科学と宗教』

トマス・ディクソン『科学と宗教』

  科学と宗教との関わりは西洋史では一つの課題だった。17世紀のガリレオ裁判から20世紀アメリカのダーウィン進化論裁判まで、その対立・闘争の局面が強調されてきた。ディクソン氏によれば、1960年代以後「科学と宗教」は、学問の一分野として研究されているという。フリッチヨフ・カプラ『タオ自然学』からドーキンス『利己的遺伝子』まで盛んに論じられている。 
  ディクソン氏は宗教的信条と科学的知識の衝突を政治的・社会的な対立の文脈を重視して述べようとしている。例えばアメリカの例で公教育の教育内容を誰が支配するかの問題に関わるとする。科学と宗教の対立を「知の政治学」の問題としている。演劇・映画でブレヒトガリレオの生涯』は権威主義ファシズムと、E・リー『風の遺産』は赤狩りマッカーシズムと関連して論じられる。
 ガリレオは聖書と自然の知識との調和を探る信仰者のグループに属していたという。私が面白かったのは、観測可能な実在論ガリレオ反実在論者で知識の「道具主義者」法王ウルバヌス八世との「みせかけと実在」の争いと見て、それを観察不能な存在を仮定する20世紀量子力学やトマス・クーンの科学革命のパラダイムまで広げ、神学的反実在論無神論に近くなるとディクソン氏が指摘していることだ。
  アメリカの反進化論も人間中心主義から神の「創造論」の重視になり、宇宙や生命は知的存在により設計された「還元不能の複雑性」という「インテリジェント・デザイン」論に行きつく過程が述べられている。ディクソン氏はこれは「科学と宗教」の闘争でなく、教育を支配するのは誰かの争いとみている。「スコープス裁判」から、合衆国憲法修正第一条により、21世紀までに聖書的な反進化論の諸法はことごとく違憲とされた。ここには信教に自由、政教分離、学問の自由の精神が生かされている。
 この本が面白いのは、死後の世界や奇跡、さらに身体の復活、主観的不死性、利他的愛などと、現代科学の思考とを対比して考えようとしている点である。心身相関、利己的遺伝子論、量子力学社会学的相互作用論などの現代の思想のもとで論じられている。(丸善出版、中村圭志訳)