西島建男『逆転の読書』

西島建男『逆転の読書』

 自己宣伝になって恐縮ですが、このブログ「西島建男の読書日記」で書いたコラムを340編を選んで本にしたものです。横断的読書で「世界を読む」「歴史を読む」「芸術を読む」「科学を読む」「「社会を読む」「文学・思想を読む」の6章に分けてみました。
  私の読書法は、「取材的読書」です。だからその社会状況と関連している本を選び、学ぼうとしています。どんな本にも、私が知らない世界が展開していて、楽しく読んでいます。非専門家で趣味人である私は、ものの見方を本から学んでいます。自分を「無」にして本の世界に入り込む快楽が、この「読書日記」の醍醐味になっていると思います。
 私の読書法はジャーナリスティックで、好奇心による「発見の読書」であり、直観的な読み方をします。哲学者・三木清は読書は技術であり、発見のためには多読が必要といいます。(『読書と人生』講談社文芸文庫
  だが私と違うのは、専門のない読書は濫読であり、ディレッタンチズムだという点です。私は読書自体を楽しむ発見には、専門性は必要無いと思います。アカデミシャンではないのですから。また古典重視も大事だが、同時代を生きている人が書く新刊書を読む選択をするには、(失敗もあるかもしれませんが)冒険があって、わくわくします。だから冒険的・発見的読書法といえます。古典を新刊書のように、新刊書を古典のように読みます。
  哲学者ショウペンハウエルは、読書は他人にものを考えてもらう「我々の頭は他人の思想の運動場」だと批判しています。多読の結果は愚者になるといい、自分の足と頭を鍛えろと言います。(『読書について』岩波文庫
  確かにそうでしょう。だが、私は読書こそ、他人の頭の中を知り、他者認識とつながりのための「共同主観」を作り出すコミュニケーションの場だと思っています。すでに亡くなった著者(死者)と対話できるただ一つの場でもあります。(『逆転の読書』文芸社