鈴木恵美『エジプト革命』

鈴木恵美『エジプト革命

 鈴木氏のこの本を読んでいて、私は1917年のロシア10月革命の現場の臨場感を深い洞察力で描いたジョン・リードのドキュメント『世界をゆるがした10間』(岩波文庫)を連想した。2011年エジプトのタハリール広場でムバーラク大統領の辞任をもとめるデモから、2013年の軍部によるムルシー大統領逮捕とムスリム同胞団との武力衝突の2年半の革命現場の迫真のドキュメントである。鈴木氏はデモにも参加し、大統領選挙では選挙監視員として開票にも立ち会い、ムスリム同胞団への治安部隊の攻撃も眼のあたりにしているから、迫力がある。
  この読書日記でも長沢栄治『エジプト革命』(平凡社)を取り上げたが、大統領選挙でムスリム同胞団のムルシー大統領が選出されてから、一年余で、軍部のクーデタで逮捕される事態に急展開した。民主化の挫折となった。鈴木氏はこの間の軍部とムスリム同胞団、リベラル青年勢力の権力闘争が繰り広げられていく状況を詳しく描いている。だが、カイロの広場は2013年に血に染まった。
  エジプト革命を考えるとき、軍部の存在が重要となる。鈴木氏は1952年軍部のナセルを中心とした青年将校が王政を打倒し第一共和政を樹立して以来、サダト、ムバーラクと軍人大統領による「軍事共和制」だったことを挙げ、エジプトの特殊性を強調している。
  権威主義体制ながら、中東戦争で国家を防衛し、スエズ運河を維持し、新自由主義経済体制を導入し、司法の独立を重視さえしたエジプト軍部が政治の中心だった。ムバーラクを倒したデモにも、青年将校の一部が参加し、「ソビエト」のような労、農、兵のかすかな徴候があったこともこの本で知った。だが、軍部は自己の既得権益を守り、文民統制に断固反対で、この聖域に踏み込もうとしたムルシー大統領排除に舵を切った。
  エジプト軍部は、共和制への立役者だったが、ムスリムとは一線を画してきた。農民や都市労働者中心のムスリム同胞団とは、是々非々の関係だったが、ムルシー大統領選出によりその権力闘争が激しくなっていくことを、鈴木氏は綿密に描いている。他方、都市知識人層や中流市民の青年層は、ムバーラク打倒の導火線のデモの主力になったが、大統領選などに、連合したリーダーを出せず、直接民主主義の「街頭の政治」の限界を露呈していく。都市部と農村部、知識人と農民の格差、直接民主主義と議会制民主主義の矛盾が解決されず、伝統的な「軍部への委託」が生じてしまった。
  私は、鈴木氏の本を読み、エジプト軍部は天下り先を多く持つ官僚組織であり、巨額なアメリカ軍事援助などの軍産複合体であり、その政策はムスリム同胞団コプト教徒、青年リベラル層、司法機関などの対立をうまく調整しながら、権力を維持していく。マルクスが描いたフランス第二共和政を、軍事クデータで倒し家父長的恩恵を施すルイ・ポナパルトの様な「ポナパルティズム」なのだと思った。(マルクス『ルイ・ポナバルトのブリュメール十八日』)とすると、ナセルはナポレオン一世かもしれない。(中公新書)