ロマン・ロラン『ミケランジェロの生涯』

ミケランジェロを読む②
ロマン・ロランミケランジェロの生涯』

 ロマン・ロランミケランジェロを「悲劇の物語」として描いている。悩める人に悩みの友達を与えようと思いながら、さらに悩みを加えたかと気にしている。貧困、病気、不遜、人間の悪意、孤独、懐疑、争い、仕事の過労、老化の惨めさ、ロランのこの伝記は、そうした状況をこれでもかとミケランジェロに背負わせている。ルネッサンスという華やかな時代に、芸術を偶像として無化して、キリストに一体化して死んでいくミケランジエロは、19世紀の作家トルストイの晩年を連想させる。
  法王やメジチ家などの権力者が自己美化のため、芸術家を奴隷のように強制労働させていた時代に、ミケランジエロの闘争や駆け引きは、大変なものだったことがロランは指摘している。権力と芸術家・技術者、資本と芸術家・技術者の葛藤の先駆けがある。
  だが、ロランはミケランジエロに存在する「繊細な魂」による不安や恐怖、さらに「弱さ」と「臆病さ」、裏切り、「不決断」を次々と明らかにしていく。もちろんロランは「落ちた偶像」としてミケランジエロを扱っていない。そうした受苦する人間像が、傑作である「ピエタ」像や「最後の審判」などの創作の原動力になっていることを示している。
  精神的貴族であり、家族一門のために苦闘するミケランジエロ。だが家族は次々死んでゆき甥姪2人しか残らない。一生独身だったミケランジェロが、同性愛的男性や、尼僧院に入った侯爵夫人にかたむける純粋な愛に、孤独人の苦悩が「詩作」となって残される。夫人が死んだ時、苦悩のなかでこう書く。「けれども死よ。今はもう他の時のように、太陽の中の太陽を、私たちからかき消したとて誇るな。愛はお前を征服した」死に対する愛の勝利を詩で書いた。
 キリスト信仰はあったが、ローマ法王庁カトリック正統には曖昧さがあり、もちろんルターの新教でもない。だが、キリスト神秘主義に近い「異教的」な信仰だったかもしれない。老年の悲惨と苦悩、80歳を超えて「孤独死」していくミケランジエロは芸術の無力さを感じていたが、さいごまで「ピエタ」を彫刻していた。ロランのこの伝記は、ベートーベンの伝記に比べても苦悩の色が濃い。(岩波文庫高田博厚訳)