合田正人『吉本隆明と柄谷行人』

合田正人吉本隆明柄谷行人

 現代思想を吉本氏と柄谷氏とを対比しながら、第三項として鶴見俊輔氏を入れて「いかに共同幻想論と交通空間論の対立と相補性を解体するかという意図」で合田氏が書きあげた力作だと思う。初期の吉本思想に柄谷思想は良き理解者だったが、後期になると対立・批判が明らかになって来ると合田氏は見ている。
合田氏は「個体」「意味」「システム」「倫理」に分けて吉本思想と柄谷思想の絡み合いを捉えようとしている。その対立と相補性がよくわかって面白かった。例えば、「個体」に関して吉本思想は「個体」の「個体性」を前提にしているが、柄谷思想は「個体」は明確な輪郭を失い、曖昧で幾多の関係性に引き裂かれていくと見る。だが吉本氏は『心的現象論序説』で、「個体は各瞬間、各時期ごとに、発展と断絶した飛躍との錯合する構造的な存在」と「錯綜体」として捉えているし、『マチウ書試論』でも「関係の絶対性」をいうから、柄谷思想と近接しうる。
意味論の対比も面白いが、吉本思想が言語を「記号」としてではなく、「構造」としたのに対し、柄谷思想は「構造」とともに「記号」として捉えたと見る。柄谷氏は吉本言語論を自己表出と指示表出の安定した構造で捉えすぎていると『畏怖する人間』で指摘していた。吉本思想と柄谷思想の対立点は、吉本の『共同幻想論』で大きくなる。吉本の「個人幻想」「対幻想」「共同幻想」を、柄谷氏は田辺元の「種の論理」になぞらえて批判し、「他者」「外部性」「単独性」をもって「資本―ネーションー国家」を提示している。吉本氏は生前、柄谷氏の「アソシエーション」論や「贈与論」を批判していた。
合田氏の両者への批判はこうだ。吉本氏は「個体」を前提として「逆立」という言葉でしか「共同性」「共通性」と「個体」の関わりを語れず、柄谷思想にも「外部」を仮構することでしか「個体」の「単独性」を語れず、両思想とも「個体化」「脱個体化」の雑種的で力動化の過程を明らかに出来なかったというのである。そこから鶴見思想が入ってくるわけだが、そこは十分にこの本では論じられていない。(PHP新書)