リルケ『マルテの手記』

「単独者の文学を読む」②

リルケ『マルテの手記』

 「単独者の文学」である。そこには孤独と死と敗残が満ち溢れている。またリルケ的な「愛」の観念も。マルテが、リルケ自身のように、生まれたチエコ・プラハの故郷・家族・文化伝統から逃れ、世界各地を放浪し、大都会パリにやってくるところから「マルテの手記」は始まる。そこで故郷喪失者マルテがあてもなく街を歩き見たものは、死者と貧しい敗残者の姿である。マルテは孤独な下宿で死の恐怖に脅かされる。孤独な死の不安。マルテの幼少年時代の追憶は、祖父や父母の死の思い出で占められる。これだけ死の恐怖と孤独感を描いた小説はないだろう。
 作者リルケ自身、幼少期母親に女の子として育てられ、母のエゴ的な「愛される苦しみ」に悩んだ。その母親は離婚で10歳のとき去っていく。リルケの悲劇の始まりは、父の上昇願望で陸軍士官学校に入れられ、繊細で神経質なリルケが挫折し、それが故郷を去る原因の一つである。「マルテの手記」でも、「愛される苦しみ」から、家族から去っていくように聖書の「放蕩息子」の解釈が述べられている。「マルテの手記」では、「愛される」よりも「愛する」ことが、主題になっている。「愛されることは、ただ燃え尽きることだ。愛することは、長い夜にともされた美しいランプの光だ。愛されることは消えること。そして愛することは、長い持続だ」。「愛する」と「愛される」の相克と葛藤が、この小説の「孤独死」とともに、主題なのである。
 私はマルテがヴェニスで聞く見知らぬ女性が歌う歌が好きだ。「おまえは僕を孤独にする。僕が手ばなすことのできるのはどうやらおまえだけらしい たまゆらおまえの面影が見えたとおもえば いつのまにかおれは風のそよぎに変わっている なごりも残らぬ物のにおいになってしまう ああ、胸に抱きよせたすべては一切あとかたもなく消えていってしまった しかい、ただおまえの姿だけがいつも心に甦って来るのだ 一度も僕はおまえに手をふれぬものだから僕はおまえをしっかり持っているのだ」
20世紀初頭の実存的不安がある。この小説がだされてすぐに第一次世界大戦が始まる。(新潮文庫、大山定一訳)