フェリエ『フクシマ・ノート』

ミカエル・フェリエ『フクシマ・ノート』

 私はこの本を読んで、大江健三郎氏の『ヒロシマ・ノート』(岩波新書)に匹敵する東日本大震災福島原発の思索的ルポを持ったと感じた。それも20年日本在住のフランス人作家によって。また関東大震災を記録した当時の駐日大使ポール・クローデルの『朝日の中の黒い鳥』(講談社学術文庫)をも感じた。クローデルの「炎の街を横切って」は、破壊された東京・横浜を記録した1923年の小品だが、迫力がある。
 フェリエ氏は、東京・代々木上原の自宅で東日本大震災に会う。そして福島原発事故に。多くの外国人が続々避難帰国をするなか、一時京都に行くが、これではいけないとパートナーのジュンさんと軽トラックに食料や水、衣料などを積んで東北に向かう。南三陸から越前高田市、南相馬市飯館村、松島などを廻る。被災地の多様な人々との出会い、話を聞く。原発作業員にも匿名でインダビューしている。(この証言は生々しい)
フランス人がこれまで体験してこなかった大地震の身体への官能的揺れの描写や、余震の恐怖や、節電で暗くなった東京の街や、トイレットペパーや水、米の商品買占めの驚きなどへの思索が、フランス的エスプリで描かれている。東北に出かけ、現地で生き残った人々からきく津波の溺死者の在りようは凄まじい。日本では、死体や遺族の配慮から、その災禍の描写はメディアではさけられている。津波に流されていく状況、死体捜査や、死者の確定、埋葬。がれきの荒野。
 だが地理が失われ、時間が乱れ、多くの命が失われたなかで忍耐強く自分の内面の力を持って生き方を変えない人との出会いは感動的である。洗濯女たちの歌を口ずさむ農夫、ガレキのなかで写真を拭っている図書館司書、ジャズを口ずさみながらセザンヌの話をフェリエ氏にする赤チョッキの老人。
 福島原発事故以後について、フェリエ氏は「ハーフライフ(半減の生)」という言葉を使う。放射性物質の崩壊サイクルの半減期と、放射能汚染により切断された日常の生を「放射能下での半減の生、なしくずしの死、長い夢遊病者の生、天国でもなく地獄でもない辺獄の生、もはや現世ではないのだが、まだ來生でもない」との思いで描く。放射能汚染のなかでも生きられるという、コントロールされた汚染水でも、「節度ある放射能汚染」(ドウボール『スペクタクルの社会』の言葉)でも生きられるという原発再稼働と市場主義の考えをフェリエ氏は鋭く批判している。
 フェリエ氏は「日本の読者の皆様へ」で、3年を経ずして「フクシマ」はすでに忘れられたというのが僕の印象だという。75%を原発エネルギーに依存するフランス人の作家には、フクシマは他人事ではなかった。(新評論、義江眞木子訳)