鈴木謙介『ウェブ社会のゆくえ』

鈴木謙介『ウェブ社会のゆくえ』

 スマートフォン時代の日本のウェブ社会を分析した社会学者のウェブ論である。鈴木氏は、現実のリアル空間とウェブの情報空間が融合する時代に入っており、現実空間に情報の出入りする穴がいくつも開いている状態を「現実の多孔化」と呼んでいる。鈴木氏によると、そのためリアルとバーチャルの優先順序が混乱し、リアルがないがしろにされるときに、親密な他者との関係に変化が生じるという。さらに、物理的な距離の近さと親しさが不明瞭になると、ある共同性をもつた「社会」に生きている感覚も分断されていく。 
 現実の多孔化現象の分析は鋭い。、たとえばプライベートの情報がモバイル環境でビジネスに利用されたりすることや、個人がデータ化し「監視社会化」するとか、ソーシャルメディア依存と「ソーシャル疲れ」や、空気を読むことと、「自分の思った通りに見てほしい」というウェブ的自己について述べられている。またウェブ社会での親密性と近接性の社会学的分析も面白い。鈴木氏はこう指摘している。「いまや現実空間はメディアを通じて複数の期待が寄せられる多孔的なものになっており、また同じ空間にいる人どうしがその場所の意味を共有せずに共存する点で、空間的現実の非特権化が起きている」。
 ソーシャルメディアが社会を分断化していくのに対して、いかに「共同性」を統合化していくのかが、鈴木氏の問題意識である。匿名の人々を統合する不可視のシステムとしての「監視」が、権力側もふくめて、多孔化した社会にいかに出てくるかを指摘している。
 私がよくわからなかったのは、鈴木氏が空間的再統合として、観光(コンテンツ・ツーリズム)やアニメ聖地巡礼、さらに死者の弔いと儀礼を挙げている点である。多孔化した社会を、さらに情報で上書きしてハッキングして、個人の情報空間が共同性につながりをつくり、共同体にすることはわからないでもないが、なぜ観光や死者の弔いというメモリアルなのかが理解できなかった。多孔化社会に無理して「共同性」を構築しようとすることは、権力・企業側の「監視社会」と裏表なのではないか。阪神淡路や東日本大震災の影響なのだろうか。(NHKブックス)