E・A・ポウ『詩集』『エレオノーラ』ほか

E・A・ポウ『詩集』『エレオノーラ』ほか

エドガー・アラン」ポウの詩には、「鴉」「「アナベル・リイ」「ヘレンに」「眠れる女」「レノア」など愛する美女の死を悼むものが多い。最愛の妻を失ったポウの悲しみが投影されている。また小説「リジィア」「モレラ」「エレオノーラ」などは、その美女の再生物語といえようか。
 「鴉」では、真夜中妻を亡くし孤独の時、格子窓をコツコツと叩く音。妻の名を呼ぶが、「木霊ばかり、ほかにない」。鎧戸を開けると、一羽の漆黒の鴉。なにを聞いても「最早ない」としか答えない。予言者め。鳥か魔神か。色々問いかける。「天使らがレノア(妻の名)と名づけた清い乙女を、わが魂の抱く日が来るかどうかを」。だが鴉は「最早ない」としか答えない。
 「アナベル・リイ」では「決して私の魂を引き離すことはできはしない」亡き妻アナベル・リイを歌う。「満天の星ののぼる時、私はかならず見る、かの美しいアナベル・リイのきらめく眼を。このように、夜もすがら、私は憩う、その傍らに、海のほとりの彼女の墓に、鳴りひびく海のほとり、その墓に」「レノア」も私の好きな詩だ。「いのちはいまもある、彼女の黄色い髪の上に、しかし彼女の眼にはなく、いのちは今もそこに、彼女の髪の上に、死は彼女の眼の上に」
 だが、ポウには愛する美女の再生・復活物語もある。「エレオノーラ」に代表される小説である。亡き妻の分身の出現で、その女性と愛し合う。暗示と夢幻の雰囲気の転生の女性は、「死に行くもの、或いは、死に行くものを愛するもの、が死に抗って持する『意志』のみによって、不死は可能になるだろう、という悲願の表現だろう」と平井啓之氏は『ランボオからサルトルへ』(講談社学術文庫)で書いている。
 また巽孝之氏は『E・Aポウを読む』(岩波書店)で、美女再生譚の革命としながらも、美女と人口庭園の分身性から、南部貴族主義的家父長制によって培われた「真の女らしさ崇拝」と「女性虐待」(小説「黒猫」)の二重性を、人口庭園を造ること(小説「アルンハイムの地所」)との共通性から、失楽園から復楽園へのポウの救済願望と見る見方もあるとしている。(『ポウ小説全集』創元推理文庫全5巻)