「泉鏡花を読む」(その4)『夜叉が池』『天守物語』 

泉鏡花を読む」(その4)
『夜叉が池』『天守物語』

鏡花の戯曲は、民話的寓話の劇が多い。自然も擬人化され、その人間を相対化する妖怪も登場する。人間は卑小な存在であり、富や権力をもつ人々の既得権益の反自然性、反倫理性が批判されている。
『夜叉が池』は、自然(夜叉が池の白雪姫)と人間社会との間で結ばれたルールを破る反自然(人間の利益社会)との物語劇である。既得権益のため、人身御供など目先の利権のために、ルールを守ろうとする選ばれし者(民衆・環境保護者)を、しいたげようとする代議士や村長、学校校長、暴力者の一団に対し、夜叉が池が津波のような洪水で村を壊滅させるドラマである。
 私は、この戯曲を読んで、東日本大震災津波で引き起こされた福島原発事故のことが、思えてならなかった。国家のために尽くすという代議士の人身御供論は、「原子力ムラ」の資本家、学者、マスコミの論理を思わせる。夜叉が池の白雪姫もかって人身御供の犠牲者が妖怪になったものであり、廃棄物がすてられ、水を汚染される夜叉が池も被害者なのであり、その怒りが壊滅的結末を導く。
 『天守物語』 は、天守の5層に住む妖怪・富姫は封建社会の犠牲者であり、人間社会の藩主・家臣という階層性のさらに上にいる。人間社会の階級性を超越している。家臣で、鷹匠の図書介が、富姫に鷹を取られたため、藩主の命令で天守に上がってくる。富姫はいう。「鷹は第一、誰のものだと思います。鷹には鷹の世界がある。露霜の清い林、朝嵐夕風の爽やかな空があります。決して人間の持ちものではありません。諸侯なんどいうものが、思上った行過ぎな、あの、鷹を、唯一人じめに自分のものと、つけ上がりがしています」環境保護者のセリフである。鏡花は、人間至上主義を妖怪主義で批判し、階級性を妖怪によって顚倒させている。
 鏡花のこの二つの戯曲は、反自然の人間の行いが、破滅の道であることを示唆している。(岩波文庫「夜叉が池・天守物語」ちくま文庫泉鏡花集成」7巻)