「泉鏡花を読む」(その3)草迷宮

泉鏡花を読む」(その3)
草迷宮

鏡花の幻想小説である。幻想とはなにか。現実世界と夢世界の宙づりの、両義性のある中間地帯に幻想は生まれる。現実と夢という超現実がない交ぜに現れる。宙ぶらりんは迷宮のような世界である。『草迷宮』の物語は、初めは旅の放浪僧が逗子の大崩れの茶店に立ち寄り、店の婆さんと話し始めるという現実世界である。そこに気がふれた青年が登場し、美人の妖怪に巡り合ったため気がふれたと、茶店の婆さんが話しだしてから、超現実世界に入っていく。
旅僧は茶屋の主人とともに、荒れ果てた近くの空き家敷の旅の青年が逗留しているというので訪ねる。その屋敷は地元の名家だが、数年前若主人の妻と愛人の二人が妊娠・出産し母子とも死に、若主人も井戸に飛び込んで死んだという呪われた化け物屋敷になっている。そこに放浪から逗留している青年は、孤児で早く死んだ母が幼子のとき歌ってくれた手毬唄を再び聞きたくて、一緒にあそんだ女の子と母を求めて放浪し、この没落した荒れ屋敷に辿りつく。小川から五色の手毬が流れ、その底には猫の死骸がぶら下がっている。その小川の先が屋敷だった。
そこに様々な怪奇現象が起こる。その描写はアニメ的である。幼き日の「失われた時を求めて」は、迷宮のようになって、どこまでいっても抜け出せない宙づり状態になる。また愛する死者を求めると、幻想迷宮に入ってしまう。亡霊は青年と旅僧の分身構造のどちらかが、死なないとそこから抜け出せないという。はたして妄想による幻想の迷宮に出口はあるのだろうか。旅僧が幻像と話している時、孤児の青年は無垢の睡眠状態である。どこからか子守唄が聞こえてくる。
鏡花は現実世界の文学である自然主義時代に、こうした幻想小説を書いていた。話者が次々かわり、空間も入れ子構造になっていて、魔術的リアリズムを感じさせる。(岩波文庫草迷宮」、ちくま書房「泉鏡花集成5巻」