宮下規久朗『フェルメールの光とラ・トゥールの焔』

宮下規久朗『フェルメールの光とラ・トゥールの焔』

 私はダ・ビンチの「洗礼者ヨハネ」を見るといつも鳥肌が立つ。暗闇から浮かび上がってくる魅惑の微笑みを浮かべた両性具有のヨハネの半身裸体の姿。画面に引き込まれそうで怖い。宮下氏によると、ダ・ビンチは強烈な光や明暗の対比をさけ、霞でかすむような風景や闇の中に、人物を溶かしこむ「スフマート」(ぼかし)手法を開発したという。宮下氏はさらに、フェルメールは「ミルクを注ぐ女性」や「天秤を持つ女性」に、同じような効果を作り出したと指摘している。カメラのような光学機械を探求したフェルメールは、ダ・ビンチのように人物の背景を闇にするのではなく、微光がゆらめく壁面にして、部屋全体に満ちる光に溶け込むようにした違いがある。
宮下氏の本は、西洋絵画が追及した光と闇の美術史であり、面白い。西洋中世では、教会の暗がりで見上げる壁画であり、ステンドクラスである闇を重視してきた。ルネッサンスで「夜景画」が成立し、17世紀カラヴァッジョが光と闇の対立を心理劇絵画に応用し、フランスのラ・トゥールを始め流行になり、フェルメールにより闇を溶かす光の粒にいたり、印象派により闇は画面から放逐された、この流れを宮下氏は丹念に追っている。
光と闇の相克で情念を描いたカラヴァッジョからバロック様式の強い明暗対比や鮮やかな色彩による劇的場面構成という西洋美術に広がる闇を描いたところが、この本では力が入っていて読み応えがあった。そうした激しい闇のダイナミズムが、フランスのラ・トゥールにより、「心の闇を照らす焔」の静謐な光に変わって行く。「ゆれる焔のあるマグダラのマリア」は、傑作である。日本絵画は、闇を取り入れず色彩も華やかで明るい。西洋でも印象派により、闇は追放されたが、現代になり闇は再び復活してきている。(小学館101ビジュアル新書)