フィンチ『ポップ・アート』

クリストファー・フィンチ『ポップ・アート』

 フィンチ氏によれば、ポップ・アートは、他の現代美術のような目的と業績を目指す芸術活動ではないという。受容の芸術であり、これまで美術の世界で除外されてきた日常世界でのオブジェ(事物、日用品、廃品まで)やレディイメイド(既成品)のイメージを強調し、マスメディア、や写真、漫画、テレビ、映画、新聞広告などの大衆イメージを素材として使う。ウォーホル、リキテンシュタインジャスパー・ジョーンズ、オルテンバーグ、ラウシェンバーグなど、20世紀中頃のアメリカ現代美術のイメージが強い。
 マルセル・デュシャンが、便器を「泉」や、ウォ−ホルがキャンベルスープの缶詰一個を、シルクスクーリンに大写しにしたり、リキテンシュタインの「筆致」のように筆触そのものが絵になるなど、平板で単純な直接性による衝撃力がある。いまや当たり前にみえるが、当時は日常のオブジェが、選択と偶然性の出会いから生まれたものは、フィンチ氏によれば、身近で親しみやすい物に対する愛情というアメリカの地方や開拓地の民俗的絵画の伝統にもあるという。オルテンバークはオブジェを自分の肉体の一部のようにとりあげ、オブジェによる日記や肖像画とも見なせる作品を作る。
 ポップ・アートのもう一つの特徴は、マスメディアの影響が大きいことだとフィンチ氏はいう。映像のカンバスへの反復転写は、マスコミや広告の影響はたしかにあるが、ウォーホルのマリリン・モンローやジャッキー・ケネディの反復や、ラウシェンバーグやハミルトンの組み合わせなどは、「プログラマーとしての芸術家」の先駆けかもしれない。
私はポップ・アートをみて思うことは、そのクールさであり、非人間的ともいうべき客観性である。物と人が逆転している。ひとの物化、物のひと化。隔離と距離感。オブジェへの情熱、物神崇拝(呪物崇拝)と非人間化などである。商品や広告の溢れる高度消費・情報社会での芸術なのだ。(PARKO出版、石崎浩一郎訳)