久保田淳『富士山の文学』

久保田淳『富士山の文学』

 富士山を扱った文学作品を「万葉集」から、武田泰淳「富士」武田百合子富士日記」まで網羅した日本文学史である。久保田氏は、前にも「隅田川の文学」で隅田川にかかわる文学を描いているから、地域空間の視点からの文学史に造詣が深いといえる。文学が中心だから、富士山の噴火活動の記述がある「三代実録」や新井白石折たく柴の記」は除外されているのが残念である。だがいかに日本の文学者が富士山を取り上げてきたかが分かる貴重な本である。私が面白かった点を挙げてみる。
① 神仙的伝承を富士山にみる考え方は、「常陸国風土記」「聖徳太子伝暦」「役の行者伝説」から、「竹取物語」(富士の噴煙はかぐや姫の形見と不死の薬が燃えている)、さらに天女伝説にからめた能「富士山」「羽衣」に至り、鎌倉時代の「吾妻鏡」や「富士の人穴」(溶岩トンネル)の浅間権現の不可思議冒険物語まで続く。
② 和歌では「富士の嶺の白雪」と「富士の噴煙」がキーワードといえる。山部赤人田子の浦ゆうち出て見ればま白にそ富士の高嶺に雪は降りける」から、「伊勢物語」の「時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらん」さらに室町将軍義教の富士遊覧まで続く。他方火山活動の噴煙は「古今集」の火の煙と恋の炎の類比の和歌から、西行「風になびく富士のけぶりにたぐいひにし人のゆくえは空に知られて」から、源実朝藤原定家後鳥羽院まで歌われる。いつまで火山の噴煙が見えたのか、本歌取りがあるからわからないが。
③ 近世・江戸時代は実際に旅をして見た富士山紀行が多い。芭蕉、蕪村、一茶の俳句「飛蟻とぶや富士の裾野の小家より」(蕪村)「夕不二に尻を並べてなく蛙」(一茶)など大と小の俳諧諧謔がある。国学者本居宣長の富士は愛国的だが、銭湯の富士の絵のようだ。
④ 近代では、正岡子規斎藤茂吉若山牧水北原白秋草野心平の詩歌がとりあげられている。また徳富蘆花「富士」泉鏡花婦系図漱石三四郎」なども久保田氏は分析している。だがやはり太宰治富嶽百景」と武田泰淳「富士」の分析が面白い。太宰が富士山の美的幻想を砕く地質学的視点で、肯定的文学を富士に託している。他方武田は富士の活火山と地下の溶岩の激しさを、富士裾野の精神病院を舞台に、人間の地下の無意識世界と見合って描いていることを指摘している。
 現代文学では富士山はどう描かれるのだろううか。(角川ソフィア文庫