ワアグナア『さすらいのオランダ人・タンホイザア』

ワアグナア『さすらいのオランダ人・タンホイザァ』
 ワーグナーの生誕200年になる。この2作はワーグナーの初期の歌劇である。だがその後のワーグナーの歌劇の特徴が早くも出ていて私は好きである。どちらも中世ドイツの伝説をもとに、歌劇化されている。ワーグナーの主題である「救い」が、女性による自己犠牲的な誠実な愛でなされるというロマン的作品である。
 どちらも二つの世界の対立構造になっている。「さすらいのオランダ人」は、神に呪われ、死にも出来ず、故郷にも帰れず永遠にさまよい続ける幽霊船の陰鬱なオランダ人船長と、現世享楽的で楽天的な功利的ノルウエーの船長の世界が対比される。「タンホイザー」もそうだが、この歌劇は「合唱」の対比がある。幽霊船とノルウエーの船の合唱の対比。ノルウェ−の船長の娘がオランダ人に愛を抱き、オランダ人を救おうと死んでいく。音楽が暗鬱であり、娘ゼンダが歌うソプラノ「ゼンダのバラード」も憑かれるような異様な音楽である。そのため堀内修氏によると、20世紀バイロイトのクプファー演出以来、病的な少女ゼンダの、性的魅力あるオランダ人への夢想=妄想という解釈で演じられているという。(『ワーグナーのすべて』平凡社新書
 「タンホイザー」は巡礼の合唱が素晴らしい。この作品も二つの世界が対比されている。異教のヴェーナスの官能的愛欲の世界と、ヴァルトブルグ城の姫エリーザベトの聖母マリアの誠実な愛の世界。それに歌合戦の世界が場になる。その冒頭の「大行進曲」は有名だ。タンホイザーはローマまで巡礼に行くが救われず、エリーザベトの死によって救われる。だが、20世紀ベルリンオペラの演出家ゲッツ・フリードリヒは、清潔なヴァルトブルグ城の騎士にナチの制服を着せ、エリーザベトとヴェーナスが同一のソプラノ歌手に歌わせる演出で物議を醸したという。
 ワーグナーには、ロマン的理想世界と、現実の放浪と惨めな苦悩世界とに引き離された分裂があり、それが悲劇を作り出していると、私には思える。(岩波文庫、高木卓訳)