サルトル『自由への道』(その2)

サルトル『自由への道』(その2)
   第二部「猶予」

 「猶予」は、1938年9月23日から30日まで、第二次世界大戦勃発がミュンヘン会談で、一時猶予される時期を描いている。チェコへのヒットラーの領土要求に始まり、フランスでも動員が始まる。マチウも汽車で招集地に出発する。「猶予」とは一時的妥協で戦争開始が猶予された宙づり状態と、100人近い登場人物の実存的猶予が二重写しに描かれているからである。そのなかで「自由」とは何かがサルトル流に考察されている。
 ヒットラーやチエンバレンなど政治家から、労働者、羊飼い、学生、様々な女性など多様な登場人物が、多様な地域での「同時性」で描かれている。映画のモンタージュ手法で、断片のスナプツショトが、次々と違う人物で連続で描かれるから、最初は読むのに苦労するが、慣れてくると、多面体の全体像が浮かび上がってくる。ジャン=イヴ・タディエは、『二十世紀の小説』(大修館書店)でドス・パソスから影響を受けた同時話法テクニックを使って書かれた「群衆の小説」と述べている。
 私は、空間と時間の同時性を重視した「ネット小説」だと思う。サルトルの時代には、ネットもテレビもスマホも無かった。だが、サルトルは時空の同時性を描くのに、ラジオや飛行機、鉄道などを多用して移動し、一つの首都から別の首都へ、パリでも別々の場所を同時に描いていく。人間の同時的行動が断片的だが鮮明に浮かび上がってくる。
「戦争か平和か」の猶予の世界の同時性の小説である。モラトリアムや猶予の宙ぶらりん状態の抽象性は「自由」ではない。社会的強制のなかで本当の自己参加をする拘束ある「自由」が、本来の自由だというサルトルの命題が見えてくる。アンガージュ(参加する・関わる自由)。
 もう一つ「パラレル(並行的)方式」も目立つ。たとえばヒットラーに妥協し屈服するミュンヘン会談と、イヴィックが好きでも無い男相手に処女を失うセックス場面が並行して描かれる。サルトルは、この小説と、哲学書存在と無』を同時並行で書いていたというから、パラレルは彼の得意なのかもしれない。この小説は、心理的内面に入らず、外面の行動で書かれているが、実存的存在や自由とは何かがその根底にはある。(岩波文庫3,4卷、海老坂敏、澤田直訳)
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