塩野七生『最後の努力』(「ローマ人の物語13巻」

塩野七生『最後の努力』(「ローマ人の物語」第13巻)

3世紀末から4世紀にかけて、ローマ帝国再建立ち上がったディオクレティアス帝とコンスタンティヌス帝の時代を描いている。塩野氏によると両皇帝により、ローマ帝国は別の帝国に変わり、あと百年たらず存続したという。別の帝国とはなにか。コンスタンティヌス帝は、キリスト教を公認することにより、神の任命という「王権神授説」で皇帝を絶対王政に変え、それまでなかった王冠をつくり、戴冠式も実施した。中世的王制に近い。
 ディオクレティアス帝は、元首政時代の本国と属州の区別を撤廃し、元老院属州がなくなり、さらにミリタリーとシビリアンが分離され元老院は空洞化し勅令が多くなった。皇宮には官僚機構が肥大化した。巨大な軍隊や官僚を養うため増税が必要になり、元首政時代の広く浅く税をとる間接税システムから、直接税の人頭税と地租税の重税体制になる。税が払えず、農民は農耕地を捨て都市に逃げる。世界初の価格統制政策と職業の世襲化が実施される。他方ローマに収容人数3000人の大浴場を作る。そこは体育場であり、美術館や図書館も併設される巨大施設だった。
 塩野氏によると、コンスタンティヌス帝は、キリスト教を宗教として公認したので、帝国の国教にしたのでもなく、他宗教を排除したのでもない。ミラノ勅令は18世紀啓蒙時代の「信教の自由」という人権を先取りしていると塩野氏は指摘する。ニーケア公会議で三位一体のカトリックの教義を確定させる。多神教の神殿を造らない新都を創設しようとコンスタンティノポリス(いま五輪誘致しているイスタンブール)をブラジリアのように作り出す。塩野氏は全人口5%の絶対少数のキリスト教をなぜ優遇したのかを、支配の道具(王権神授など)から説明している。確かに実母は信者だったが、帝は死の直前洗礼を受けたのだから、クリスチャンとは思えない。塩野氏の説明は納得できる。(新潮文庫、上、中、下巻)