樋口陽一『いま憲法改正をどう考えるのか』

樋口陽一『いま憲法改正をどう考えるか』
 安倍政権は憲法改正を打ち出している。憲法学者の樋口氏が、その憲法観・歴史観を読み解こうとする。西欧近代の個人の人権重視と、国家権力によるその自由への侵害への制限を核とした立憲主義の視点は、樋口氏の著書『もういちど憲法を読む』で強調されていた。その樋口氏が2012年の自民党『改正草案』をどう考えているかがこの本に書かれていて興味深い。
 樋口氏は三つに分けて論じている。第一の型は「解釈改憲の明文化」である。天皇を「元首」にすることであり、戦争放棄から「安全保障」のために、機密保持の審判所をもつ「国防軍」に変えるである。
 第二の型は、権利保障の制限における例外の原則化である。「表現の自由」を「公益及び公秩序」で制限し、「政教分離」の例外として「社会的儀礼又は習俗的行為」を挙げてる。また「労働基本権」を「全体の奉仕者」で制限しようとする。
 第三の型は、基本の考え方の逆転である。前文がすべて書き換えられ、「人類普遍の原理」が消え、「固有の文化」「天皇を戴く国家」「和」「家族」「伝統」が重視される。基礎的単位として「個人」が消え「人」になる。「公共の福祉」でなく「公益及び公の秩序」になり、「緊急事態宣言」の状態では「戒厳令」のような規定が出来ることが容認される。さらに憲法改正手続きを容易にする。
 この草案では戦後70年の近代が作り出した近代主義は超克され、「急進的な」体制内革命の要素が強くなっている。戦後70年日本の国際的近代憲法の「保守」は、「反近代」で超克される。
 樋口氏は、普遍を追及することを断念して、日本独自を押し出すことにたいして、明治以来、個人の尊厳と開かれた社会を求めて、成功と挫折の屈曲をえてきた自国の歴史を選択したいという。また権力の制限を置く立憲主義の枠組みを維持するという「保守」の意味を考える大切さを論じている。
 いまや日本は近代世界から受け取ったものを、世界に向けて返す「近代法の成熟」という創造性を発展させることが、「近代の超克」という急進的憲法改正よりも重要だという立場だと、私はこの本を読んで思った。国民が70年かかって創り上げてきた近代憲法を途中で捨てるのではなく、さらに護っていく「憲法愛国主義」が、戦後世代の持続的責任だとも思う。(岩波書店