グッドウィン『リンカーン』

グッドウィン『リンカーン』(その1)
 大著である。普通の伝記のようにリンカーンの出生からの生い立ちで始まるのではなく、1860年共和党大統領指名選で争った4人のことから書き出しているのが新鮮である。シワード、チェース、ベーツ、リンカーンの4人の政治的野心に燃える候補者のそれぞれが、どういう生い立ちをし、政治に進出し、大統領を目指したかが、克明に描かれていく。19世紀のアメリカの状況、生活、若者の野心がリンカーンを含めえがかれ。何故無名に近かかったリンカーン三者を抑え共和党大統領候補に指名されたかが、浮かび上がってくる。
19世紀アメリカは発展途上国であり、西部への領土的拡張、高度成長という拡張の時代であり、若者たちの政治的野心や上昇志向も激しかったこともわかる。いかに政治的に成功を勝ち取るかの政争も凄まじい。政党再編成の時代であり、共和党が新たに結成された時だった。
 そこに奴隷問題が生じてくる。それに西部拡張と州権主義と、近代国民国家の中央集権の連邦主義の相克が絡み合う。リンカーンと他の3人との違いは、貧農出身であり、家庭的不幸、さらに刻苦して弁護士になるが、上院議員には2回落選と挫折の人生だったことである。それがどうして1860年の大統領選に勝利したのか。
グッドウィン氏の伝記ではこうである。好機、身の置き方、経営戦略における、リンカーンの人となり、人生経験がもたらした成果だという。彼のライバルに比べ、特権をもたないまま出世したリンカーンは、自分だけを頼りにした。疲労困憊する巡回旅行で、奴隷制支持の南部民主党のダグラスと討論を行い、さらに北部に単独で講演を何回も行った。グッドウィン氏によれば、リンカーンの雄弁術は、たとえ話や逸話をふんだんに含み、わかりやすく、話術にユーモアがあり、人々の喝采を得たという。
 この時期リンカーンは、急進的奴隷廃止論者でなく、人間の平等を説いたが、南部奴隷州に配慮した中道路線だったことも、指名獲得に有利に働いた。有力候補のシワードの奴隷廃止論の急進性と対照的である。イリノイを巡り歩き、酒場で、街角で、店先で民衆と話し合うポピュリズムの顔を、私はリンカーンに見る。敗北から、かつての政敵と改めて友好関係を築くリンカーンは、やはり民主政治の「政治的人間」を代表すると思う。(中公文庫上巻、大統領選、広岡緑訳)