佐藤忠男『みんなの寅さん』

佐藤忠男『みんなの寅さん』
 葛飾柴又駅前の「寅さん像」を見るたびに、何故銅像なのか疑問に思う。私は木造造りのほうが寅さんに似合うのにと思うのだが。昭和の国民的人情喜劇映画「男はつらいよ」を佐藤氏は、日本映画史を背景に論じたもので名著である。佐藤氏は寅次郎の話術の面白さを先ず指摘している。型にはまった七五調のメリハリから一転してくだけた口調になる転調の自在さやダジャレを挙げている。監督・山田洋次は落語の達者で、渥美清無声映画の講釈師徳川夢声に私淑し、またテキヤの口上を手帳にギッシリかきとめていたというから、この二人の合作が寅さんの日本語を名セリフにしている。
 「駅前の商店宿かなんかの薄いせんべい布団にくるまって寝るとしまさァ、なかなか寝つかれねェ、耳に夜汽車の汽笛がポーッと聞こえて来ましてね、朝カラコロ下駄の音で目がさめて、あれ? 俺は今いったいどこにいるんだろう ああ、ここは四国の高知か そんな時に今、柴又じゃ、さくらやおばちゃんたちが、あの台所でミソ汁の実をコトコトきざんでいるんだな、なんて思ったりしましてね。」(「男はつらいよ・寅次郎恋歌」)
 この映画は地道に働く人情共同体の下町の定着者と、テキヤで一人孤独に全国を放浪しているフーテンの寅さんの二重性から成り立つ。だが孤独な放浪者には柴又という帰る故郷があり、その郷愁が支えになっている。現代のニート非正規社員とは違うのはそこだ。佐藤氏は、寅さんにアメリカ映画西部劇に自由で孤独な流れ者の影響を指摘しているが、西部劇の自由人には望郷の念は感じられない。アラン・ラッドの「シェーン」に似たシーンが寅さんにあるが、シェーンには柴又はない。日本の股旅ものに近い。擬似家族に人情共同体のパロディでもある。
 佐藤氏は「沓掛時次郎」のパロディというが、納得できる。わたしが思うに、寅さんには日本大衆演劇のパロディが詰め込まれているのだ。大島渚監督の後の保守化が、山田洋次監督のパロディによる伝統回帰というわけだ。朝日新聞が、シニア層の部数拡張の販売戦略に寅さんを使うのも頷ける。寅さんも口上を述べたかったろう。
 佐藤氏の分析の面白さは、寅さんが天上の花のようなマドンナに恋をし、失恋していく状況を、中世ヨーロッパの騎士道物語のパロディと考えていることだ。マドンナへの献身とプラトニックラブ。「かわいそうたぁ惚れたってことよ」。恋のドンキホーテが哀愁を呼び起こす。日本男性の恋の告白とコミュニケーションの下手さも、寅さんが象徴しているのだ。貴婦人に惚れ献身する「無法松の一生」を佐藤氏は挙げているが正しいと思う。寅さん映画の原型は小津安二郎監督の昭和初期」の「喜八もの」にみているのも卓見である。(朝日文庫