『ギリシア悲劇Ⅲ エウリピデス』 続

ギリシア悲劇 Ⅲ エウリピデス』 続
「ヒッポリュトス」
  継母が継子の息子に不倫の恋をして、破滅していく演劇は、日本でも浄瑠璃・歌舞伎にある。この劇もアテナイの王妃パイドラが、先妻の王子ヒッポリュトスに恋をして苦悩する物語である。継母は淫乱で恋の情念に」とらわれながらも、その板挟みで苦悩するが、高貴な品位を失わないように腐心する。忠誠な乳母が、出会いを作り恋の告白場面になる。ここが見せ場である。
 ヒッポリュトスはどう描かれているか。狩猟が好きで若者と山野を駆けめぐる野生児として描かれ、おまけに女嫌いである。だから継母の告白を無視する。勿論父親に対する敬愛と継母を守ろうとする意思がある。私は、ヒッポリュトスは同性愛であって継母であろうとなかろうと、拒否したと思う。
フランス17世紀の劇作家ラシーヌは、同じ題材で『フェードル』(岩波文庫渡辺守章訳)書いたが、拒否の理由に苦慮したのか、父親の宿敵の娘にたいする止みがたい恋の情念のためとしていて、女嫌いではない。日本の歌舞伎では、継母はお家の大事のため、悪人を欺くため「偽りの恋」を仕掛ける。ラシーヌでは恋が父にばれたとき、先妻の子が仕掛けたと中傷するのは、フェードルでなく忠誠の乳母になっている。フェードルはギリシア悲劇と違い、キリスト教的「罪の意識」に苛まされている。エウリピデスでは最初はパイドラが性欲旺盛な淫乱な女に描かれていたが、評判が悪かったため、自分から恋を夫の王に告白する「高貴な魂」の持ち主に変えたという。
劇に似た事件が、ローマ帝国の4世紀コンスタンティヌス大帝の時起こっている。大帝の息子と義母の不倫事件で、真相は不明だが、大帝は二人を処刑している。これが原因かわからないが、大帝のキリスト教帰依が起こったのかも知れない。(ちくま文庫、松平千秋ら訳)