『ギリシア悲劇 エウリピデスⅢ』

ギリシア悲劇Ⅲ エウリピデス
 『メデイア』
 この演劇は、蜷川幸雄演出で「王女メデイア」として20世紀末まで何回も上演されギリシアなど海外公演も行われた。メデイアに女形平幹二朗が扮し、辻村ジュサブロウの衣装で、「情念の操り人形」のように演じていた。私はこの劇を読むと、鶴屋南北東海道四谷怪談」を連想する。浪人で流れ者の夫が、地位と富のため、その土地の王や家老の娘をもらい、妻を見捨てることへの復讐を、妻が夫を苦しめて行うのである。メデイアは夫との間に設けた二人の幼い息子と許嫁を殺し、お岩は亡霊になって民谷伊右衛門を滅ぼす。
 人間(男女)の対立と愛憎の情念を、劇的に描くことにエウリピデスは優れていると思う。古代ギリシアのような男性社会でメデイアのような女性としての誇りと夫への愛の献身をし、故郷も捨て流浪し、異民族として国際結婚し、孤独のなかで子育てをしている母親が、裏切られた憎しみを子殺しで果たそうとする情念の激しさは、このドラマの見どころだろう。「いちばんみじめな存在は、わたくしたち女というものです」といい、「女たちは家で安穏な生活を送って、槍を取って戦う男より楽というが、一度お産をするくらいなら、三度でも戦場に出る方が楽」という長セリフは、古代の虐げられた女性のフェミニズム宣言ともいえる。
 だが夫のイアソンは決して悪役として描かれていない。浪人から脱出して、異国人のメゲイアと混血児の子供の位置を安定させるための、身過ぎ世過ぎの手段としての結婚だと主張する。メデイアの援助でかつて金羊毛というお宝を得て帰国した恩を追求されても、ずるがしこく詭弁で逃げているとも思えない。民谷伊右衛門の方が、卑屈で残忍である。お岩に毒を飲ませるのだから。残忍といえば嫉妬で、花嫁衣装と冠に毒をぬり、夫の許嫁の姫を毒殺するメデイアのほうが、残忍だといえるだろ。この劇はエウリピデスお得意の「機械仕掛けの神」が最後に出てきて解決することがなく、救いのないまま幕が降りるところが悲劇の傑作にしている。(ちくま文庫)