渡辺義浩『「三国志」の政治と思想』

渡辺義浩『「三国志」の政治と思想』
 三国志は映画「レッドクリフ」や中国制作のテレビドラマ、さらにゲームなどいまやブームといってよい。古くは吉川英治の小説や横山光輝の漫画でも、おなじみである。だが、三国志演義によった英雄たちの戦闘物語が強調されていた。本当の歴史事実はどうなのかを中国史によって全体的にとらえた本が、この渡辺氏の著書である。副題は「史実の英雄たち」である。
 渡辺氏は、漢帝国後漢)「儒教国家」の崩壊後2世紀末から3世紀にかけての魏晋南北朝にいたる分裂時代に現れた曹操劉備孫権の三国の英雄君主が、いかに地方の大土地所有をバックに出現した知識人層(渡辺氏は「名士」と命名している)と緊張関係をもちながら、その「文化資本」をもとに覇権を争っていったかが描かれている。武力戦闘の英雄の張飛関羽ではなく、その後の中国史で大きな支配層になる貴族官僚の先駆けの諸葛亮に代表されるメリトクラシーの重要さを指摘している。魏の曹操の在り方が私には面白かった。
 曹操儒教的徳行でなく、才能を重視した唯才主義をとり、儒教を超える文化を目指し、君主権力にすべての文化を収斂し、文化を存在基盤にする「名士」に対抗しょうとした。曹操も文帝も曹植の3兄弟は、楽器に合わせ歌う楽府という詩をかき、「文章は経国の大業」として、志を述べる「建安文学」を興隆し、儒教を超えようとした。だが渡辺氏はロマン的文学主義にも儒教が忍び込み、儒教による「名士=貴族」により、挫折していったと指摘する。
 中国史学者には魏晋が古代か中世かの論争があるが、西欧・日本の「武」の領主が土地所有を存立基盤にしているのに対し(日本の場合天皇家との血縁貴族制で少し違う。明治維新華族制が、三国志の魏晋の五等爵制と同じ公候伯子男爵なのに驚く)、中国の「文」の貴族は経済資本を文化資本ブルデューの言葉)に転化して、貴族制を作り上げたというのが、渡辺氏の主張である。三国時代に萌芽した官僚貴族制に関しては、君主に寄り添う「寄生官僚制論」や民衆を握った「豪族共同体論」などあるが、渡辺氏は「名士」という文化資本論を採っているのが注目される。いずれにしろ中国史を貫通する知識官僚の淵源が、武的英雄が相伝される三国時代から始まったということを私は重要な指摘だと思う。(講談社選書メチエ