西垣通『集合知とは何か』

西垣通集合知とは何か』
 40年あまりコンピュータ研究にも携わった情報学者・西垣氏が、21世紀情報社会には専門知のみならず、一般の人々の「主観知」がお互いに相対的位置を保ち交流し、ネットを介した「集合知」でゆるやかな社会秩序を形成することがでときるを主張した本である。確かに専門知は、過度の専門分化と無制限の市場原理の大学・研究機関への導入で視野が狭くなった。それに福島原発事故で専門家への不信感を増した。インターネットの対話で出現した素人の知の集積がいま注目されているのも確かだ。西垣氏は、集合知を基礎情報学を基本に、人間=機械複合系のつくる知を社会的視野のもとで展望しょうとしていて、私は読んで面白かった。
 西垣氏は20世紀は論理主義と分析哲学により、「形式的ルールに基づく論理命題の記号操作」という思考機械としてのコンピュータが目指され、汎用人工知能検索エンジンにより、人間を超えるポストヒューマンな計算的理性が目指された。これに対し西垣氏が主張するのは、生命知ともいうべき身体・心・脳という一人の人間の「クオリア(感覚質)」を持つた「主観知」からの出発である。生命という自己創出する自律的な暫定的閉鎖系からの知である。知は生命体が生きるための実践活動と切り離されず、この世界に存在するのは個々の人間の「主観世界だけで、客観知のほうが人為的作り物」と言い切る。
 ではそこから、生命と機械を結ぶ「ネオ・サイバネックス」によるネット集合知が作り出せるかが西垣氏が、この本で苦心して書かれているところで、重要な問題を指摘していて興味深い。「人間のコミュニケーションにおける身体的・暗黙知的な部分を含み込み、人間集団を感性的な深層から活性化し、集団的な知」を作り出すタイプⅢコンピュータが、日本で近未来に作り出せるという主張でこの本は終わっている。 読んでいると西垣氏の現在のネット情報社会への危機感が伝わってくる。だが「主観知」の信頼はともかく、それがどう「集合知」に形成されていくかという点や、ネオサイバネックスや暗黙知のとらえ直し、集団リーダーの出現、二人称の知、さらにタイプⅢコンピュータなどもう少し詳細な説明がないと、分かりにくいとも思った。私の勉強不足かもしれない。(中公新書)