岩崎秀雄「<生命>とは何だろうか』

岩崎秀雄『<生命>とは何だろうか』
 生命科学の難しさは、生命体である人間がそれを対象化し、分析し実験し解読された遺伝子を操作したり、細胞を人工創出したりすることと、今生きている日常の生命活動との違和感にある。岩崎氏は細胞分子生物学者であるとともに、生命科学の最先端の成果を使った芸術制作を行うアートの創作者でもあり、そこから生命とは何かをこの本で探究している。人工細胞を作ろうとする合成生物学は、ポスト遺伝子時代の生物学であり、当然に安全性、危機管理問題さらに生命倫理な問題と隣り合わせであり、岩崎氏もその点も逸らしていないのに、好感をもって読んだ。
 ヒトの遺伝子・ゲノム解読以後には、業者から遺伝子キットを買えば数ヶ月で学生でも遺伝子組み替え実験ができるし、分子生物学による組織培養工学も安易にできるというから驚く。バイオメディア・アートが作られ、「人工生物多様性」も世界中の研究室で作られている。岩崎氏は、生命の基本単位である細胞を、試験管の中で化学物質を混ぜ合わせて人工的に合成して作る研究に携わり、作りながら生命の本質を理解しようとしている。山中伸弥氏によるiPS細胞は、皮膚細胞に分化した細胞に一群の遺伝子を導入することで、ほかのあらゆる細胞に変化させる細胞をつくりだしたのとは違い、新たに化学物質で合成細胞創造を試みるのである。
 人工細胞とは何かは難しい。自己増殖し代謝機能を持ち遺伝情報をもつ細胞といっても果たして人工的に出来るのか。試験管のなかで、シアノバクテリア研究をもとに体内時計の合成に取り組んだ岩崎氏の苦闘が述べられている。その上で人工生命をつくる合成生物学の歴史が述べられ、アシロマ会議以後の生命倫理や、文化的な死生観・生命観との関係まで論じられていて、このくだりは興味深い。私も取材で会ったことのある柴谷篤弘の生物学の再評価も興味深かった。
 生命科学の表現としての生命美学による芸術まで行き着くのは、人工的創造という視点から見れば当然だろう。だが、合成生命科学が将来どこまで進むかはわからない。だが人工細胞を作り出すことは「生命」とは何かの解明になるとしても、バイオテロはじめとした危険性は、遺伝子操作とともに今後重要な問題になると思う。それがこの本を読みながら、私の不安をかき立てた。フランケンシュタイン妄想を呼び覚ますのである。(講談社現代新書