加藤徹『西太后』

加藤徹西太后


 19世紀末激動の中国・清朝の皇后西太后は、女傑として、わが子の同治帝、甥の光緒帝の「帝母」として47年間も権力を振るった。女性権力者として悪名が現代中国でも強いが、加藤氏は風聞による俗史に惑わされず、実証的に西太后の姿に迫ろうとしている。加藤氏の本の特徴は、西太后を生んだ中国の土壌を丁寧にたどり、西太后が政敵や西欧や日本と対抗しとした方策が、現代中国にも明暗両面で大きな影響を与えているという視点である。孫文蒋介石毛沢東などのカリスマ的支配に匹敵するとしている。
北京の中堅官僚の娘に生まれた西太后が18歳で後宮の后妃選びの試験に受かり、皇帝の息子を生み、皇后になり、皇帝の死去により後見政治でカリスマ支配者になる過程は、日本の大奥を擁した幕府政治では考えられない。鎌倉の北条政子や江戸の春日局もこれほどの力はもたなかった。私は古代日本の女帝(推古や持統や称徳など)の比較の方が、皇統を維持するために母として女性として君臨した方が西太后と共通性があると思ってしまう。同時代に西太后が興味を持っていた英国・ヴィクトリア女帝やそれ以前のエリザベス一世やロシア・エカテリーナ女帝に似ているが、立憲帝政だったのに比べ、やはり独裁制の強さが違う。
加藤氏によれば、西太后は、伝統的家父長支配から、カリスマ支配、最後に立憲支配へと変貌していったという。ハードな開発独裁を行い、西欧近代化と排外的ナショナリズムを利用しながら、自己の権力維持を保とうとした。清仏戦争日清戦争義和団戦争という激動の世紀末中国で、「反日愛国」などを利用して貧富格差など不満が出ることを、国内統制を強めようとした。光緒帝が日本明治維新のような「維新派」によるクーデターをおこそうとすれば弾圧する。清仏戦争日清戦争では生活を大事にする平和主義だつが、(といっても自分の趣味の庭園を建設するために、李鴻章の海軍増強に予算を出さなかった。日清戦争で日本が勝利したのは西太后のためか)義和団事件では排外主義になり、それが終われば西欧趣味になる。そのぶれは大きいが、自己の皇統を守ろうとする母性的政治とみれば納得がいく。
加藤氏は西太后の時代は、現代中国の小規模実験工場だったという。義和団事件に示される大衆エネルギーは、抗日戦争や文化大革命で、再現されたという。維新派の洋務運動の「中体西用」は現代の改革開放の経済建設に示されているともいう。西太后が女性として好んだ京劇や陶磁器など生活用品や、中国料理、衣装ファッションなども現代中国にひきつがれているともいう。(中公新書