檀上寛『永楽帝』

檀上寛『永楽帝

 15世紀中国・明朝三代皇帝永楽帝を描き、朝貢国60国を数える中華世界システムを作った「華夷秩序」の完成者に視点を置いている本だ。明治の小説家・幸田露伴が書いた『運命』(講談社文芸文庫)という小説を読み、叔父永楽帝が若い甥の建文帝に対し反乱を起し帝位を簒奪したのを、日本古代の天武天皇が、甥の近江の天皇に反乱した「壬申の乱」と似ていると思ったことがあった。また室町幕府時代に足利義満が日中貿易を行い「永楽通宝」という貨幣が大量に流入したことも、永楽帝に興味をもつきっかけにもなり、また鄭和が7回の大航海でインド洋からアラビア、アフリカまで遠征した時代に興味を持っていたから、檀上氏の「永楽帝」が文庫化したので読んでみた。
檀上氏は「中華思想」を、垂直思考の「天命思想」と水平思考の「華夷思想」の二つで出来ているとし、この両者が専制の天子を基軸に垂直に交差し、その中間に築き挙げられた空間が中華世界であるという。多民族世界で、他民族(夷)でも、中国思想の「礼・義」を知れば中華の民になる反面、中国人でもそれを失えば夷になるという差別と包容の論理が背中合わせの関係になっている。夷の来貢・朝貢があり、冊封という関係になる国が多くなればなるほど、専制権力の皇帝の天命は全うされる。永楽帝がなぜ、モンゴルから日本(足利義満冊封)、朝鮮、東南アジア、アフリカまで「華夷秩序」の完成者になったのかを、檀上氏は、前の王朝元の皇帝フビライへの対抗と、国内で内乱による皇帝位簒奪からの回復を挙げているのは面白かった。また貿易という経済よりも、華夷思想による政治的イデオロギー重視とみているのも同感した。首都を南京から、紫禁城を築いて北京に遷都させた永楽帝の遺産は現代中国にまで生きている。
最近の中国史研究で、現代中国の起点を明の初めに求めようとする動きは西欧近代(西欧歴史概念では捉えられない)と異なる中国の固い統制的「近代」を、現代中国における永楽帝の正負の評価があるとしても、永楽帝の再評価を起させているのかもしれない。永楽帝の帝位簒奪の「靖難の変」は、その殺害の凄さ、粛清の酷さ、歴史の捏造など、たしかに幸田露伴が「物語化」したくなる凄まじささである。私が最近読んだ莫言の小説『白檀の刑』は清朝末の話だが、その刑に残酷さは永楽帝時代と変わりないと思った。(講談社学術文庫