篠原資明『空海と日本思想』

篠原資明『空海と日本思想』


空海を描いた司馬遼太郎空海の風景』を読んだ時、空海は日本知識人の典型だと思った。先進文明国に留学し思想・技術を学び咀嚼し日本化した百科全書的知識人であり、詩人で書家という文人であり、仏教という先進思想を政治にまで行動化する宗教家であり、様々な土木工事を先進技術で指導し、総合大学のような教育機関まで創設した。「弘仁モダニスト」という人がいるのもおかしくない。篠原氏のこの本は空海の思想を日本思想の基本系と考え「風雅・成仏・政治」という視点で描き出す。日本思想のプラトンのような存在だと見るのだ。
この本を読んで考えたことを挙げてみる。空海の思想には分析的な悟性概念がない。全体的に無差別な普遍性が宇宙から地球の自然、生命まで含みこまれている。風雅と即身成仏と鎮護国家が連続している。山川草木悉皆成仏の思想だ。時間的にも過去・未来が現在にすべて包容されている。それが輪廻転生になる。永遠と無常も、有も無も背中合わせである。自然と心が合体していく。「即非の論理」である。そうした全体融合の媒介物が言語(真言)になる。「五大に皆響き有り。十界に言語を具す」なのだ。私は日本仏教の言語による救いは、空海真言から親鸞日蓮までの念仏称名まで、この言語概念の媒介論が宇宙・自然・釈迦にまで貫徹しているからだと思う。日常言語というコミュニケーション言語でなく、言霊的超越言語になるから、詩的言語に近くなる。空海が詩人で書家であるのと、真言の救いとは繋がっていく。
篠原氏の本では、仏教僧空海が「無常観とさび」という自然を友として言語による美を歌う詩人であり、それが西行から慈円を通り芭蕉までの風雅と連綿と繋がっているという指摘は面白かった。日本の詩学を考える時、空海の歌学が基本系だといい、その拡張を西脇順三郎の詩や草間彌生の前衛芸術まで広げて論じているのも興味深い。さらに九鬼周造の風流論まで広げている。私がこの本を読んでいて、どうしても納得できなかったのは、空海思想を、報恩の政治学につなげ、三島由紀夫の『文化防衛論』を持ち出し、天皇空海思想の「和歌・自然・まつりごと」とし、空海の「蜜巌国土」からとらえようとしている点である。空海は政治的ロマン主義者になってしまう。(岩波新書