サイード『音楽のエラボレーション』

E・W・サイード『音楽のエラボレーション』

 サイードといえばパレスチナ出身の比較文化論者で『オリエンタリズム』の著書で有名である。サイードはピアノのレッスンを受けたほどの音楽通であり、この本も音楽論である。特に西欧文明が創り出したクラシック音楽を、非西洋的な、非クラシック的な音楽や文化を念頭に置いて論じようとしている。エラボレーションという表題は、クラシック音楽が演奏会を頂点にいかに練成され洗練化されていくかを、音楽家だけでなく、その訓練や社会の受容まで含んでいることを意味しているという。
現代の演奏会が超絶技巧の演奏により「厳粛な非日常性としてのパフォーマンス」化していくことを論じ、一世紀前までは作曲家が主体であったのが、いまや演奏家がスター化している状況をサイードは批判している。コンサートが日常性や社会から隔絶した自己完結的パフォーマンスになっているのは何故かも。その典型が指揮者トスカニーニであり、演奏会から身を引き、レコード複製録音に生きたピアニストのグレン・グールドについて、その矛盾した音楽活動をサイードは注目している。社会とのつながりを欠いた西欧クラシック音楽が、ジャズやロックさらにアラビア音楽の歌曲から逆照射されている。
西欧クラシック音楽が、自己統制的であり、自己参照的であり、その典型がソナタ形式であるという。ソナタ形式は主題なり、旋律なりが、直線的であり、発展的であり、音楽的時間が組織化され威圧的だから、洗練化されやすい。サイードは、音楽は旋律的物語でなく、無限に可能な反復や対位法による変奏が、非西洋やポップスなどと共にクラシック音楽を乗り越える重要性を指摘している。西欧でもメシアンの反復と静止による異種混交や、リヒャルト・シュトラウスの反復的変奏技法を評価している。サイードが論じているのは、ポストモダンーポストクラシック時代の音楽だと思う。だが、サイードほど古典音楽が好きな人はいないのではないかとも感じる。この本にはその逆説も見え隠れする。(みすず書房大橋洋一訳)