大島堅一『原発のコスト』

大島堅一『原発のコスト


 原発を経済的コストから分析し、さらに太陽光、風力などの再生エネルギーがコスト面でもいかに有利かを導き出している。経済的コストにおいても、原発がいかに高価につくかを、大島氏は指摘している。火力や水力に比べ原発の発電コストは安いという神話がいかに間違いであるかが明らかにされていく。原発の発電コストのキロワット時あたり5−6円という計算のカラクリを経済計算から暴き出し、さらにそこに含まれず隠された地域交付金放射性廃棄物などの不確実なコストから、原発の経済合理性を疑っている。さらに原発事故の損害賠償などで、国民が負担するコストを考えると、このような高コスト事業は国民の合意は得られないと大島氏はいう。
さらにいま本格化しようとしている福島原発事故の被害補償に関しても、自主避難者や遅くでる放射線被爆などの損害賠償、廃炉の費用、損害賠償に上限を設けるか、事故収束費用、など巨額に上る。そうした費用は市場経済ではまかないきれず、最終的のツケは国家(国民)にまわされる。大島氏は、経済学的には、電力会社の経営責任であり、原発に絡んで融資した金融機関、原発施工を請け負ったプラントメカーやゼネコン、株主にまで費用負担責任を負うべきだとしている。原発事故に対して「無責任の体制」に怒りを持つ私にとって同感出来る。
再生可能エネルギーのコスト計算も重要である。大島氏は太陽光発電などの固定価格買取制や発送電分離、電力会社の地域独占体制などを論じながら、いかに再生エネルギーの方が、経済的コストから見ても有利化を説いていく。そこには原子力村(原子力複合体)が、いかに原発の真のコストを隠蔽し、自己の利害集団に有利に経済合理性を無視してきたかへの環境経済学者の批判を感じる。第12回大仏次郎論壇賞の受賞作品である。
 私は責任は、東電だけでなく、そうした電力を安楽生活(安楽全体主義)のために使用し、電気料金として考えもなく支払ってきた私たち消費者にもあると思う。原発のコストを担っているのは、我々消費者なのだ。(岩波新書