草間彌生『無限の網』

草間彌生『無限の網』


 日本の戦後で岡本太郎と共に、最大の前衛芸術家草間彌生氏の自伝であり、読んでいて興奮する。芸術を求道としての信仰として芸の道を、世界という場で修行していくその勘案辛苦は、サクセス・ストリーとしても読める。かつて小澤征爾氏の『ボクの音楽武者修行』を読んだときの興奮と似ている。2012年は「クサマイヤー」といわれるほど、海外でも国内でも近作を含めて巡回展が開かれた。美術界の異端として、一時はスキャンダラスな風評まで立てられたいま83歳の草間氏には感無量かもしれない。
2001年の第一回横浜トリエンナーレで屋外作品として2000個のステンレスのミラーボールが、海に浮かび波で揺れ動き無限に増殖する風景は一度見たら忘れられない。また直島などのカボチャの巨大彫刻も凄い。水玉と網模様の「反復と増殖」のモチーフの絵画は、宇宙の無限性と生命の煌きさえ感じさせる。
長野県松本市の旧家に生まれ、閉塞的で因習的な状況や、父母の確執に悩まされ、少女時代から幻覚・幻聴の心の病に冒された草間氏が、絵画によつていかに自己を治癒しようとしたかの苦闘から、ここから脱出しようと28歳のとき画家G・オキーフに手紙を出し、単身でニューヨークに渡る過程は、その生命力の強さに感動する。ニューヨークでの貧乏暮らしと、60年代のヒツピー運動から、反戦・平和やセックス解放の前衛パフォォーマンスの「女王」になっていくが、ここでもボディペイントという前衛美術を創造している。
ニューヨーク時代の出会った人、愛した人も面白い。なにしろG・オキーフや、ジョゼフ・コーネル、ウォーホルなどアメリカ前衛美術の錚々たる人々だからだ。草間氏がプラトニックラブという画家コーネルとの日々は、コーネルの奇人ぶりとともにユーモアにあふれていて笑ってしまう。広大で自由なニューヨークから16年ぶりに帰国したのが1973年、閉鎖的・保守的で醜い近代化した日本に対する草間氏の批判は鋭い。だが故郷・松本市の自然の美しさで生命力が再生するくだりは美しい文章で書かれている。東京での生活は、病を再発させるが、それを克服してさらなる作品創造に点火していく強さには舌を巻く。草間氏の人生こそ「反復と増殖」ではないかと思う。狭い自我を超えて宇宙の無限に入っていく神秘主義の芸術だとも思う。(新潮文庫