猪木武徳『経済学に何が出来るか』

猪木武徳『経済学に何が出来るか

 経済学は合理的で独立した個人を想定すし、この「経済的人間」に限定して理論がつくられる。猪木氏は、人間には経済的効用を最大化する合理的欲望だけでなく、不完全な知識と不合理な欲望と価値に突き動かされる「人間的自然」も持つと見る。価値や倫理も多様であり、その対立も激しさを自由社会では増す。人間のなかの社会性と反社会性。公共と利己など矛盾する二面性、合理性と非合理性の「二重思考」のなかで、経済学は何が出来るかを猪木氏は問うている。猪木氏は経済学を人間学(人間研究)という広い範囲で捉えようとしており、倫理がからむ倫理学まで含みこんでいる。だから猪木氏の考えは中庸的な賢明さがある。この本はアダム・スミスやヒューム、またF・ナイトなどの人間論を土台として経済学の基本的準拠枠を示そうとしている。
 テーマはギリシャ危機の税と国債中央銀行の責任と独立性、インフレの不安から、所得格差、貧困と失業、経済的厚生と幸福、結社などの中間組織、分配の正義と交換の正義など多様である。現代のユーロ危機やTPP参加問題まで論じられている。それぞれがやさしく面白い。経済学者はこう考えるのかと思う。理論と政策を分けているのも特徴である。
自由と集団心理や平等と偶然、中庸と幸福など三本の柱が立てられている。インフレの不安では、人間の経済活動には将来の予想や期待という心理があり、「将来価格がもっと上昇する」と人々が予想すると、本当に価格上昇が生じる「自己実現的期待」の罠を論じている。またリスクと不確実性を区別し、賭けという不確実性から投資を考えている。人間の知識の不完全性も含めて経済活動を見ている。私が面白かったのは「消費の外部性」の考察であり、消費にも「負の外部性」があり、乱獲や過剰消費により価格高騰とともに、次世代への不公正の現世代の独占消費を猪木氏は指摘し、「習慣」となった倫理的消費が必要と主張している点である。(中公新書