蒲田東二『古事記ワンダーランド』

鎌田東二古事記ワンダーランド』

 「古事記」が編纂されてから1300年である。鎌田氏は宗教哲学者だが神道ソングライターでもあり、この古事記論も民俗芸能史的視点(折口信夫的といつていい)が強くでている。それに、津田左右吉から始まり、上山春平、梅原猛、大山誠一、大和岩雄に到る日本神話成立の政治構造をもきちんと捉えている。データベース的で講義的な「日本書紀」に対し、「古事記」は112首の歌を含む歌謡演劇的な女性性文学マニフェストだと鎌田氏はいう。雄略天皇長歌がラップ的であり、リズミカルな反復のダンスを伴う身体性の語りは歌謡曲的であると鎌田氏は指摘している。
 藤原不比等と近習の音楽家「多氏」という芸能家が、「日本書紀」と「古事記」のダブルスタンダートを生み出した。
その内容にも二重性があり、天皇の系譜の高天原神学とともに、敗れ去っていった土着の出雲系という敗者の鎮魂という「顕幽の二重構造」がある。鎌田氏は「平家物語」と同じ構造という。中でも最初のイザナミ女神の女あるいは母の嘆きと哀切が「古事記」全体の通奏低音になっていて、それがマザコンで暴力的スサノオから、イジメっ子で国を譲る敗者オオクニヌシ、さらに父にうとまれ放浪し戦い死んでいくヤマトタケルまで「屈辱」という負の感情による嘆きの鎮魂物語になる。後世の浄瑠璃や説教節の小栗判官にも共通する。戦い歌うスサノウのエロス、暴力・殺害神から怪物退治をする救世と愛の神の二重性。
 鎌田氏の本で「古事記」が楽器「琴」の演奏を重視していることを知った。「平家物語」の琵琶にあたる。神託や歌や祝詞の言葉を引き出す呪具楽器である。「古事記」という歌物語に琴は欠かせない。「古事記」にはイデオロギーは希薄であり、旧約聖書におけるダビテの詩篇のような容赦なき神との倫理的応答もない。意味よりも調べとレトリカルな言葉の行き来によって情が交わされ、事態はクリアされると鎌田氏は述べている。
 とすると鎌田氏の考えは本居宣長の「古事記伝」とは相対立する。歌謡の政治性を仁徳天皇雄略天皇にみているいが、とすると古事記の政治性はカール・シュミットのいう「政治的ロマン主義」かもしれない。古事記が女性文学で、男性英雄が「妹の力」を借りて(オトタチバナヒメトヨタマヒメクシナダヒメなど)難局を切り抜けることも頷ける。
だが、近代日本の「古事記」解釈は、天皇史観による神武天皇による征服劇としての「武力的」英雄が天皇家の正統性を作ったことのみが、強調されたことになる。果たして「古事記」はサブカル的解釈で正しいのかという疑問が残った。たとえ二重性を揺れ動いたとしてもである。(角川選書