伊東豊雄『あの日からの建築』

伊東豊雄『あの日からの建築』

 
「あの日」とは、東日本大震災のことである。伊東氏は大震災以前に仙台市に「せんだいメディアテーク」という文化複合施設を設計していたが、地震で7階天井仕上げ材の一部落下があった。震災で衝撃を受けた伊東氏が、建築家に復興に何が出来るかという苦闘の物語がこの本で書かれている。仮設住宅のあまりにも均質なユニットでのプライバシー配慮による閉鎖的孤立の住宅に愕然とした伊東氏が、岩手県釜石市で住民相互が心を通わせ集う集合場所「みんなの家」を、被災民と話し合って設計していく。それは地域に合った自然に溶け込む斜面集合住宅や「合掌造り」の集合住宅の建築設計に結晶していく。ここから、これまでの近代建築家が意図してきた機能主義による都市中心の抽象的コンセプト重視の建築を乗り越えようとする地域住民の相互理解による親自然性の建築が、目指されていく。
この本の特色は、伊東氏の戦後建築の歴史を同時に描いていることである。60年代の菊竹清訓らのメタボリズムから始まり、70年代の白くて閉鎖性の強い「アルミの家」(安藤忠雄氏の「住吉の長屋」なども)を通り、バブル期の80年代の都市消費社会における浮遊する軽い家など「イメージの建築」に到る。だが震災以前の90年代や2000年代にはすでに伊東氏は、公共建築のもつ権威性やゼネコン中心で、社会的プロジエクトから敬遠される建築家を変えようと意図していた。それが八代市立博物館や下諏訪町諏訪湖博物館、せんだいメディアテークの建築である。内と外の閉鎖的区切りの撤廃や自然環境への調和、垂直性よりも微妙な曲線の組み合わせ、チューブの多様などが権威的秩序や硬い形式性を崩していこうとしていた。それが震災後アートではない生活者のための、自然エネルギー動的平衡を目指した減災住宅構想に生かされようとしている。大震災によつて現地被災民とのコミュニケーションで、いかに建築家が変わっていったかが、この本では語られている。(集英社新書