絓秀美『反原発の思想史』

絓秀美『反原発の思想史』


 副題に「冷戦からフクシマに」とあるように、福島原発事故までの「反原発」(脱原発でない)の運動の思想を、歴史的に辿っている。絓氏は「1968年」を中核として現代思想を読み解こうとしている。この本でも反原発運動が毛沢東思想の誤読による近代科学批判が、1968年思想を媒介にして、ニューエイジ・サイエンスや「宝島文化」を通してサブカルチャーと結びつき、高円寺の「素人の乱」まで大衆化していったと捉えている。絓氏の立場は、ポストモダンや「反近代・近代の超克」ではなく近代に留まり、また今日の運動がリスク論(安全・安心論)やコスト論の範囲から出られない状況を、歴史意識を欠いているからだという視点から、この本を書いている。
原発の思想は重層的であり、60年代の武谷三男から山田慶児、広重徹、高木仁三郎などの近代科学批判から、70年代の津村喬の「安全」=「終末論」批判を通って、80年代のヒッピーからニューエイジ、さらに宮澤賢治ロハス的国民化、さらにコミューン主義やアナーキズムと歴史を辿って行く。私は反原発としての80年代後半におけるサブカルの「宝島文化」や、90年代の小原良子の女性的生命主義による伊方闘争、「ドブネズミ」や「ダメ連」、松本哉の「素人の乱」などの絓氏の重視が興味深かった。
絓氏が、今後の「脱原発依存」の方向を、資本主義的新自由主義再編と考え、知識・サービス産業の国内重視の電力軽減と、製造業の旧第三世界への移転と電力急増のための原発輸出とを連合して考え「反自由主義と反原発を掲げる『素人の乱』的な運動が直面する当面のディレンマは、それがナショナリズムに回収される」としているのは注目される。また「右派の『生命を守れ』というスローガンとリベラル左派の『生命を守れ』というスローガンは、日本の原発だけを問題にしている限り、なんの差異もない」とし、その時「ニューエイジ的、ロハス的なエコロジー主義が回帰してきて、日本的自然を守り、西欧近代科学主義を超える代替知としての「天皇制」を内包してくるという主張は重要な論点である。国際的な反核・反原発運動の連合が今後の課題になるだろう。(筑摩選書)