蜷川幸雄『演出術』

蜷川幸雄長谷部浩『演出術』

 演劇の舞台稽古は「人間の修羅の戦場」という演出家・蜷川幸雄氏と東京芸大教授長谷部浩氏のドラマチックなインダヴューである。二人登場人物の戯曲を読むようだ。蜷川氏が演出した代表的ドラマ(チェーホフシェイクスピア唐十郎野田秀樹秋元松代、ギリシァ悲劇、清水邦夫など)の演出を、長谷部氏が冷静に聞きだしてき、蜷川氏がつい本音を喋ってしまう面白さがある。演出術が語られるが、同時に蜷川氏が戦後の新宿アングラ演劇から、商業演劇に転身し(櫻社解散のどろどろさが、蜷川演劇の基盤になっている)、さらにロンドンなど海外公演への挑戦にいたる戦後演劇の一面が語られていて、貴重な証言でもある。
蜷川演出は、群集場面に主役を結びつける場面や、舞台と観客を一体化する場面、共同体の崩壊や敗北者・挫折者の鎮魂歌などがすぐ目に浮かぶ。この本をよむと蜷川氏がいかに名作戯曲に肉迫する解釈を苦衷のなかで編み出していったか、日本人である蜷川氏がいかにギリシァ悲劇やシェイクスピア劇を、日本伝統の歌舞伎や能を基盤に、さらにアングラ演劇の猥雑さを加え、西欧の洗練されたものとは違う演出を試みていったかがよく分かる。蜷川氏は即興性と集団芸能性が近年強まっているが、俳優の重視、俳優の身体性の重視は一貫してある。やはり、青俳出身の俳優だったことも一因があるのかもしれない。伝統演劇、新劇、アングラ演劇の混合が蜷川演出にはある。
私が面白かったのは、シェイクスピア演出についての語りであった。「マクベス」では悪を通じて自己認識ができると解釈し(「リチャード三世」も)魔女が仏壇から桜吹雪をあびて現れ、幕切れでは桜を消してオレンジ色の月が昇り、マクベスは殺される演出がいかに出来たかが語られる。2001年の「マクベス」演出では、舞台は枯れた蓮のある池と一転し、唐沢俊明・大竹しのぶの俳優の演技を重視し、死んでいった敗北者の鎮魂歌が何故できたかが語られる。「リア王」や「テンペスト」では、父親と老いの孤独感がいかに舞台で演出されていくかが蜷川氏によって語れる。「驚きの演劇」の秘密が分かる。(ちくま文庫