宇佐美圭司『20世紀美術』

宇佐美圭司『20世紀美術』

 20世紀美術には好き嫌いがはっきりしている。反古典主義、反ロマン主義、反写実主義と「反」が並び、キュービズムとか抽象表現主義ダダイズム、シュールなど「主義」が羅列している。西欧近代美術の極限を見極めようと「実験」を数々打ち出し、20世紀自然科学のように、がらりとそれまでの創造を乗り越えようとした。かつてアメリカのジャクソン・ポロックに傾倒したという画家の宇佐美氏による印象派から、ヨーロッパ前衛美術、さらにアメリカの抽象表現に到る20世紀美術の在り方を描いている。この本はマチスから始まる。マチスの触覚的画面は、近視から眼を対象を触るように近接したところから生じたという指摘は面白い。また色で空間を埋めるや、絵のプロセスをそのまま描くという指摘があり、晩年の「ダンス」や「音楽」の群像が、マレーヴィチやパスキアの構成主義という20世紀美術の始まりと位置付けているという。私はこれをより触覚的・身体的にし、抽象表現したのが、ポロックだと感じた。
 宇佐美氏によれば、20世紀美術は還元的情熱と科学技術(テクノロジー)の影響が強いという。デュシャンの例を挙げている。情熱的還元は無意識という古層に還元されたシュールレアリズムとなり、エルンストを通じアメリカに入る。この本の特徴は20世紀後半のニューヨーク派(ポロック、ニューマン、ロスコ、スティール、デ・クーニングなど)を綿密に描いているところだ。抽象表現にある還元的情熱は「強さ」と「サプライム(崇高)」に極限化されていくという。アメリカの「強度」と「大きさ」の美術が、いま21世紀に問い直されている。ポロックの絵の具をたらし込むドリッピングや、絵のなかを切り取り別の絵が出てくるカット・アウトや、輪郭線から自由になりネットワークの「蜘蛛の巣」は、20世紀美術革新を担ったが、それが均質化し空無性を強めた時、自己喪失していく。このあたりは宇佐美氏の画家としての自己批判論と、大きさと強さのアメリカ文明の価値観批判とつながっていて、20世紀論としても面白い。(岩波新書