コリアー『収奪の星』

ポール・コリアー『収奪の星』

 「天然資源と貧困削減の経済学」という副題が付いている。コリアーの立場は中庸で説得力がある。将来世代への責任を常に考え、自然資源を活用しながら、先進国に過大な要求をせず、世界10億人の最底辺の貧困を撲滅し、同時に自然秩序を回復していこうという結構な提案なのである。経済学と環境保護エコロジー)の両立を狙っている。コリアーの考えは「自然+技術+法規=繁栄」であり、「自然+技術−法規=略奪」であり、「自然+法規−技術=飢餓」ということになる。公式は抽象的だが内容は具体的である。
 資源富裕な国々が豊富な資源を乱費し経済成長を損ない、あまつさえ将来世代の資産を損なう「資産の呪い」からいかに脱出するかをナイジエリアの石油ブームや「オランダ病」などから分析し、ノルウエーの成功を指摘する。資源富裕国に民主主義がなく、利権と汚職で資源の損失を招く。資源の持続不能な収入を、いかに将来世代の資産として残していくかの処方箋が、資産の調査・採掘から価値の確保、公共投資や民間投資のあり方までの活用が述べられている。コリアーは資源国の政府の統治力が重要と考え、汚職を防ぐため資源採掘によって政府が得る収入の公開する必要を訴えている。市民による「支払い
内容公開運動」が、天然資源収入の国際基準憲章の設定と連動した「採取産業透明性イニシアチブ」として、いま政府、採取産業、市民団体などの参加で始まっている。
 コリアーの本を読んでいて思うことは、グローバル化といっても、自然を略奪しない責任をもつ国際協調が、国連でも、国際通貨基金でもほとんど組織化されていないことである。例えば公海上の漁業権を国連に委ね入札するとか、低炭素社会のために国連加盟国が一律の炭素税を導入するとか、食糧危機を防ぐためのバイオ燃料規制や大規模商業農業や技術革新への国際協力とかはほとんど機能していない。そのため魚資源の絶滅や、温暖化飢餓などが進む。コリアーは国際的市民運動に期待している。例えば各国の市民は炭素排出を国別でなく、産業別で統一的に扱う原則などを提案している。資源を世界の公共財として活用していくのは、将来世代への責任でもある。地球に責任をもつためにも読みたい本である。(みすず書房、村井章子訳)