刈谷剛彦『学力と階層』

刈谷剛彦『学力と階層』

自由社会が進めば進むほど「格差社会」が激しくなる。経済、社会、文化だけでなく、初期条件である子供の教育、学校構造から階層化は始まっており、それがさらに社会の階層化を進めることを、教育社会学者・刈谷氏は実証的調査データで示した。階層上位の子供と下位の家庭環境の子供では「学力」のみならず、学習意欲、努力意欲まで格差を生んでいることを明らかにした。学習意欲重視、競争社会での自由選択重視、個性と自己実現という自由社会のあり方が、既存の階層格差の影響を受け、それを増殖していると刈谷氏はいう。とするとそれは悪循環の社会である。個性重視と自己実現の教育イデオロギーにたいして、職業機会が少なくフリターになっていく「自己実現「という名の迷路、フリターからの脱出口はあるのかの章は、現代日本の苦境を示している。
 刈谷氏は「学歴社会」から「学習資本主義社会」に変わりつつあると状況分析している。知識経済社会のジャパニーズ・ドリームを成功させた三木谷浩史や、孫正義などは、「学歴」という蓄積型(ストック)知識、訓練機会の企業教育ではなく、常識や伝統に囚われず、時代変化を予測する能力、コミュニケーション能力、継続学習による問題解決能力、体験を通じて智慧と知識を継続する学習という主体的学習から生まれてきている。学習能力が人的資本になる。「自ら学ぶ力」=学習資本となる。
21世紀になり、日本の教育も方向転換を目指し、「自ら学び、自ら考える力」にカリキュラムを変更しょうとしている。だが、刈谷氏は初期条件の階層化の問題と、学習を選択する主体の形成や、自己責任の主体の形成という学校教育での問題が、学習資本主義のもとでかき消されてしまう点を難問として呈示している。個人の形成が教育の市場化という交換ネットワークに早くから投げ込まれてしまうと、家庭環境の階層化が前面に出てきてしまう。
 学習資本主義の教育は、新たな階級社会の誕生か、能力支配社会(メリットクラシー)の出現か、生涯学習・知識社会の表れか刈谷氏は明確にしていない。「いじめ問題」の底には、教育の市場化も確かに潜んでいる。(朝日新聞出版・朝日文庫