ローティ『連帯と自由の哲学』

「自由論を読む⑥」
R・ローティ『連帯と自由の哲学

 アメリカ哲学・プラグマティズムの自由論である。ローティがこの本で主張しているのは「(1)真理の試金石は、自由な議論だけである。(2)自由な議論は合意へと収斂するだけでなく、その反対に、新たな語彙を増殖させ、また、(どの語彙を使用すべきか)ということに関する際限のない議論を増殖させる。」ということである。真理を唯一の統一的統一的存在者の名称とするような考え方を避けたいという。また予定された目標を目指すことを進歩と見なすことも消し去ろうとする。人間が次第に複雑になるにつれて、際限ない自己再定義の過程としての自由な「探究」を重視することになる。ローティは、収斂や基準よりも増殖や自由の方を強調し、探究が自由に獲得された合意以外の目標を持たないともいう。
ローティは「連帯としての科学」の中で、「新ぼかし主義」といわれるものを提唱している。基準的合理性の考え方が育んできた「主観・客観」、「事実・価値」という区別をぼかしてしまおうとする。こう書いている。「われわれぼかし主義者の望んでいるのは、「客観性」の観念を、「強制によらない合意」の観点に取り替えることであると。「間主観的合意」という要件があれば、「客観的真理」の要件をすべてあたえられたと考える。そういうと相対主義と批判される。ローティは「われわれプラグマティストは真理論をもっていない。相対主義的真理論など、論外である。われわれは、連帯の熱烈な支持者である。われわれが行う共同的探究の価値に関する説明は、ただ倫理的基盤を持っているだけであって、認識論的基盤や形而上学的基準を持つていない」と述べている。
ローティは「哲学に対する民主主義の優先」という章で、合理性を市民的教養性とみるプラグマティズムの見方からすれば、信念の網目を絶えず編み直すことを重視する。「客観性」の願望は、別の信念を持っている人々との自由な開かれた戦いを通じて、強制によらない合意が最終的に得られるような信念を獲得したいという願望とみるのである。科学的真理を始めとした直感的強制力まで否定する徹底した自由主義が、ローティにはある。それはロールズの正義論やサンデルの共同体重視とも違う。どちらかといえば自然科学の真理の相対性を重んじるファイヤーアベントやクーンの考え方に近いし、社会的対話と合意を重んじるハーバーマスの思想に親近性がある。(岩波書店、富田恭彦訳)