金子啓明『仏像のかたちと心』

金子啓明『仏像のかたちと心』



 白鳳から天平(7世紀から8世紀)の仏像を取り上げて、そのかたちと支える心・精神性を論じた本で、「国宝薬師寺展」や大盛況だった「国宝阿修羅展」を手がけた金子氏だけあって仏像論として面白い。白鳳時代中宮寺・半跏思惟像は、寄木造の思惟の理想像であり、学問仏教時代の聖徳太子の等身像として、弥勒菩薩的救いの悟りを探究する瞑想的な静寂さと法に触れる喜びを、正面観照性と左右対称性で表現しているという。和辻哲郎「古寺巡礼」では物の哀れとしめやかな愛情」芸術というのに対し、金子氏は制作にかかる確かな主体と理想像を追求する創意と工夫を見る。私はロダン「考える人」が苦悩の思惟像だと思うので、半跏思惟像の穏やかさに日本古代を見る。
法隆寺阿弥陀三尊像は極楽浄土における若い生命を現し、蓮池と後屏の植物が生長していく波動線に古代の生命感を金子氏は見る。薬師寺・薬師三尊像に身体の若さの理想像があり、有機的裸体表現を論じている。私が面白かったのは、古代ギリシア彫刻との比較であり、ギリシアが人体の筋肉など造型の明瞭性・構築性が美しい比例になるデジタル的なのに対し、古代仏像は三十二相に象徴されるように、人体の部分を異様でグロテスクに変形し、さらに人体以外の動植物の形を理想として、その生命力を弾力性のあるアナログ的やわらかな肉体にしているという指摘である。
興福寺西堂の仏たちと阿修羅像の分析も面白かった。阿修羅という美少年の内面に渦巻くドラマが、三つの顔と六本の手で表現されている。帝釈天への闘う反逆者である阿修羅が罪を自覚し懺悔して、その消滅を少年の純粋で傷つきやすいだが誠実な表情に三面の変化として現している。仏教的というよりもキリスト的像と私は感じたのだが。東大寺大仏や不空絹索観音菩薩像、四天王像も天平という時代が、日本では珍しい仏教国家という理想革命を目指していたことが仏像にも現れていることが金子氏の本で分かる。(岩波書店