ヴェルヌ『動く人工島』

 ジュール・ヴェルヌを読む②
動く人工島

 福島原発事故のあと、この幻想冒険小説(1895年刊)を読むとヴェルヌの先見性がよく分かる。オーウェル『1984年』と同じようなディストピア小説である。巨大な人工島スタンダート島を作り1万人が生活する大都市は、摩天楼もある電化都市である。二つの電力工場で電気を生産し、蒸留水も電化耕作の農業も公園も、電信電話(スマホのような)も、すべての生活が電化されている。その上にその電力エネルギーを動力として、この鋼鉄でできた人工島は太平洋を航海もするのである。空中には500平方メートルをてらす五千燭光の電化人工月まで照らしている。120年前の本だからヴェルヌは原子力発電発明時代以前である。しかし火力、水力でなく煙突もないきれいな電気生産工場は原発のイメージである。巨大な原子力空母を島化したイメージがある。
この小説の面白さは電化人工島が、太平洋のハワイ、マルケサス、タヒチ、トンガ、フィジー諸島など自然な野生・未開の島々を航海で廻ることにある。電化文明と自然文明の島々の対比がある。南太平洋の島々の情景や原住民の生活が、英、仏、米の植民地・帝国主義のなかで描かれており、この島を略奪しようとする原住民の人々との活劇も起こってくる。だがこの電化社会の人工島は破滅の道を辿っていく。
その破滅の原因になるのは、この人工島に移住した人々の内部抗争と自然災害の複合要因である。左舷派と右舷派の対立抗争は、政策対立と総督選挙で割れてしまい、一方は北東に進路をとり、他方は南西に人工島を動かそうとしたため、スタンダート島は旋回し始め、地下の鋼鉄の箱が分解の危険に陥る。そこに巨大台風の旋風とツナミ状の大波が襲い、鋼鉄の箱は分解し、電化工場は水素爆発を起し、海中に没するのである。電化社会の脆さをヴェルヌは描いている。日本列島の原発推進派と脱原発派の抗争とツナミでの原発事故を、120年前にヴェルヌは予想していたような小説である。(創元推理文庫三輪秀彦訳)