ヴェルヌ『十五少年漂流記』

ジュール・ヴェルヌを読む①
十五少年漂流記


何回読んでも面白い。少年冒険小説の古典である。孤島への漂流とサヴァイバルの冒険は「ロビンソン・クルソー漂流記」が先駆けだが、大人で個人のクルソーと異なり、ヴェルヌには「子供の発見」があり、8歳から14歳の少年15人が子供共和国を孤島で作り上げ、生き残っていく凄さがある。国籍もフランス、アメリカ、イギリス、黒人まで含まれる多国籍少年たちである。ニュージランドから帆船で漂流し、南米マゼラン海峡あたりの太平洋の孤島(チェアマン島)にたどり着く。大嵐を連帯して乗り切り2年間の孤島での探検により生き残り脱出していく過程は、子供でもしなやかでしたたかな勇気と智慧そして連帯があれば、自律した力で難局を乗り越えられるかを示している。過保護と甘え、大人依存社会の現代の子供にも、そうした潜在能力を秘めているのだ。
ヴェルヌの少年たちは理想主義的で子供にたいして楽天的な見方だという読み方もできる。この小説でもフランス人ブリアンとイギリス人ドノバンの対立と権力闘争がある。暴力的喧嘩の危機一髪の場面もあるし、いじめ問題もある。だが、ヴェルヌの子供理想主義は、自己犠牲的友情により、子供共和国をつくり、常識に富み慎重なアメリカ少年ゴードンを大統領に選び一致団結して生き延びていく。ノーベル賞作家ゴールディングの『蠅の王』は同じように孤島に漂着した少年たちのサヴァイバルの物語だが、子供たちの内面にある「獣的」本能の内面の悪が、闘争を引き起こしていくのと対照的である。
この小説の後半になると、島での自然との闘いが漂着した大人の船員との戦いになっていく。私は後半はあまり好きではないが、ここに出てくる「大人」はほとんど悪人であり、2人の少数な善良な大人が子供たちに味方し、悪の大人を殲滅する。ケストナー飛ぶ教室』に似ている大人への不信感が見られるとすれば、ヴェルヌの子供の無垢な人間性と友情という連帯性の理想化がよく出ている小説である。単なる冒険小説ではない。(新潮文庫波多野完治訳)