黛まどか『引き算の美学』

黛まどか『引き算の美学

 俳人の黛さんは2010年から1年間パリで文化庁・文化交流使として俳句を講義し句会も催すなど活動した。その成果がこの俳句論に現れている。異国から日本文化を見直すと、日本の伝統文化は、言わないこと、省略することによって育まれる「引き算」による余白の豊穣さにあると黛さんはいう。戦後日本が豊かに利便性と快適さを追求し、物が溢れ「足し算」に邁進して来て、饒舌の文化になってしまったという時代批判もこの本には込められている。
 この本で私はフランスでの俳句の文化の隆盛に驚いた。フランスでは20世紀初頭にクーシューなどにより俳句が紹介されてからハイカイ(俳諧)として始まった長い歴史がある。1960年代にはハイク(俳句)として再び盛んになっている。短詩型への好みの日仏の共通性は、自然観や文化の相違と共に興味深い。ジャポニズムだけでは片付けられない日仏の文化共通性がある。だがその相違も大きい。この本でも、「有季定型」の問題が取り上げられフランスでも議論になりやすいと黛さんは指摘している。日仏の自然の違いは「季語」にも影響してくる。歳時記を国際的に作る必要も黛さんは提案している。また「余白と型」という俳句の命をフランス人に理解させる難しさも指摘している。「切れ字」の難しさもある。相互の俳句における翻訳の難しさもある。だが俳句ブームは寿司ブームと同じように自由な解釈を伴いながらフランス文化に定着している。俳句の精神も次第に理解されつつある。フランスでは芭蕉や蕪村よりも一茶が早くから理解されたというのも面白い。
 黛さんは「俳句が育む日本人の美徳」を強調している。現代日本が物欲主義や利己主義に陥っている面もあるが、伝統俳句にある季節感や自然を愛する繊細な心、日本語力による苦悩や悲しみや情念を客観視(写生)して大きな心で、省略の限りを尽くしユーモア(笑い)に変える智慧などは、古代から脈々と繋がっていると黛さんは言う。「引き算の美学」は東日本大震災後ますます重要になるとも述べている。(毎日新聞社