フリードマン『資本主義と自由』

「自由論を読む③」
ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』

 1962年初版だが、資本主義における市場の自由から市民的自由を論じた「絶対自由主義」(リバタリアン)の古典といっていい。2002年版「まえがき」でフリードマンは、出た当時は無視されたが、福祉国家ケインズ主義で政府の肥大化が顕著になって評価が変わったと述べている。経済的自由が、政治的、市民的自由の拡大になり、競争的資本主義が自由と切り離せないとも言う。たしかにこの本で提言された政府からの自由はレーガンサッチャー、小泉構造改革で民営化や規制緩和などで「常識」になっている。だがこの本を読んでみると、政府が行うべきでないものとして、社会保障、輸入関税、最低賃金、職業免許制、郵便、有料道路、徴兵制、産業・金融規制など実現したら急進的改革になるものまで含まれている。
 フリードマンによれば自由人にとって、国は個人の集合体にすぎず、政府は一つの道具や手段にすぎず、やさしい庇護者でも仕える主人でもない。政府は進歩より現状維持を、多様性よりも均質性を選ぶ。競争的資本主義は経済活動の大半が民間企業によって自由市場で行われ、それが政治や市民的自由の基本になる。国家の干渉と温情主義が、個人の自由を狭める。だから政府の役割の制限と権力の分散が必要である。政府の役割は自由な討論と自発的協力のためのルールの決定と審判にあるということになる。
 フリードマンはそうした「自由主義」の視点で国家・政府の肥大化と温情主義を批判し、規制緩和路線で改革提言をしていく。それは金融政策で中央銀行が通貨量に巨大な裁量権を持つことに反対し、通貨供給量だけのルールをきめ自由に市場に任せ、国際金融では変動相場制を取り、関税や輸入割当などの貿易制限の撤廃まで行き着く。教育でも公立、私立学校への税金補助でなく、親と子の個人家庭にお金を与え、学校を選択させる「バウチャー制」を是とする。フリードマンは自由な選択が狭まる「独占」や「寡占」を悪とし、「談合」を憎む。国家による医師や弁護士など職業免許制にも反対し、市場における消費者の自由選択を提言している。社会保障に対しても政府の個人の自由への温情的干渉・強制として避け年金強制加入はコストばかりかかり得るところは少ないと主張している。
 フリードマン自由主義は、自助努力と自発的協力・助け合いという個人性善説に立っている。日本のように国家依存性が高く、温情主義に頼り、国家を信頼するような社会ではフリードマンの絶対自由主義はあまり受け入れられないだろう。フリードマンは「自由主義者は、権利の平等・機会の平等と、物質的平等・結果の平等との間に厳然と一線を引く」といい、平等主義が「正義」だと主張することに対し自由の立場に立つ。(日経BP社、村井章子訳)