新藤兼人『ある映画監督』

新藤兼人『ある映画監督』


 映画監督新藤兼人と女優山田五十鈴さんが亡くなった。日本映画の昭和の時代がまた消えていく。新藤監督のこの本は「溝口健二と日本映画」という副題が示すように、日本映画の黎明期から戦後にかけて新藤監督が師事した溝口監督の栄光と悲惨を描いた。溝口監督作品「浪華悲歌」(昭和11年)で山田五十鈴は溝口演出で「女優として一生生きて行く」決心をする。
溝口作品は85本もあるというが、私は「雨月物語」と「山椒大夫」の2本しか見ていない。「雨月物語」は、昭和28年ベニス映画祭銀獅子賞を得た。そのモノクロームの画面が荒れた廃屋で夫の帰りを待ち死に亡霊になった妻(京マチ子)が、夫(森雅之)の帰宅を待ち、帰宅した時の鬼気迫る情愛と、夫婦のきずなの哀しさのシーンが今でも迫ってくる。森の演技が凄まじかった。溝口監督は、男を愛しながら零落していく女性、それでも男に献身的愛をもち尽くす女性を描くのがうまい。「浪華悲歌」「祇園の姉妹」「赤線地帯」「滝の白糸」など名作がそうだと新藤監督は指摘している。日本的自然主義で、文学では同時期の徳田秋声永井荷風に匹敵する。ワンシーン・ワンカットの手法。ショットを積み重ね繋げる編集のモンタージュに溝口は反感を持ち「非映画」を追及した。ワンカットのなかにクローズアップ、ロング、省略、テンポやサスペンスまで共存させる。俳優をとことん追い込んでいく。だから溝口と俳優との格闘になり、入江たか子のように降ろされる女優もでる。
生きた人間をフィルムに写し取ろうと脚本家にシナリオをたたきつけ、俳優を叱咤激励する溝口組の現場の凄まじさを新藤監督は描き出す。私が驚いたのは溝口の生き方だ、零落し無気力な父のため母を17歳で亡くし、姉が芸者として溝口少年を育てる。母と姉のイメージが溝口映画の女性像の原点にあるのかもしれない。苦労して黎明期の撮影所にはいり、出世の野心で映画を数々つくる。酒乱とサディスチック、愛人に背中をカミソリで深く切られ、結婚した夫人は狂人になる。悲惨な家庭。反面女優・田中絹代との長年の純愛の謎。仕事の最中白血病を発病し「早く撮影所の諸君と楽しく仕事がしたい」と乱れた文字を書き残し、58歳で死ぬ。新藤監督は「映画監督は、仕事の後にフィルム一本残すのみである」といい、「放出した一切の情熱が、フィルムとともに消滅するのも、爽快なる業」という。その視点で溝口監督を描いている。(岩波新書